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象州(ぞうしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から民国初年にかけて、現在の広西チワン族自治区来賓市一帯に設置された。
592年(開皇12年)、隋により設置された。象州は桂林・陽寿・馬平の3県を管轄した。605年(大業元年)、象州は廃止され、その管轄区域は桂州に移管された。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、桂州は始安郡と改称された[1]。
621年(武徳4年)、唐が蕭銑を滅ぼすと、隋の始安郡桂林県に象州が再設置された。象州は桂林・陽寿・武仙・武徳・西寧の5県を管轄した。638年(貞観12年)、西寧県は廃止されたが、晏州は廃止され、その属県の武化・長風の2県は象州に編入された。666年(乾封元年)、桂林県は廃止された。742年(天宝元年)、武徳県は廃止されたが、象州は象山郡と改称された。758年(乾元元年)、象山郡は象州の称にもどされた。776年(大暦11年)、長風県は廃止された。象州は嶺南道の桂管十五州に属し、武化・武仙・陽寿の3県を管轄した[2]。
974年(開宝7年)、北宋により厳州は廃止され、その属県の来賓県は象州に編入された。象州は広南西路に属し、陽寿・来賓・武化・武仙の4県を管轄した[3]。
元のとき、象州は湖広等処行中書省に属し、陽寿・来賓・武仙の3県を管轄した[4]。
1369年(洪武2年)、明により陽寿県は廃止され、象州に編入された。1377年(洪武10年)、来賓県は柳州府に転属した。1431年(宣徳6年)、武仙県は武宣県と改称された。象州は柳州府に属し、武宣県1県を管轄した[5]。
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