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藤原 真友(ふじわら の まとも)は、奈良時代後期から平安時代初期にかけての貴族。藤原南家乙麻呂流、右大臣・藤原是公の長男[1]。官位は従四位上・参議。
光仁朝末の宝亀11年(780年)従五位下・少納言に叙任される。
桓武朝初頭の天応2年(782年)氷上川継の乱が発生すると衛門佐に任ぜられる。延暦3年(784年)越前介、延暦4年(785年)従五位上・下総守に叙任されるなど、しばらく地方官を務める。延暦6年(787年)正五位下・右大舎人頭に叙任されて京官に遷ると、中務大輔・右京大夫と一転して京官を務め、延暦10年(791年)に従四位下に叙せられている。またこの間、延暦8年12月(790年1月)の皇太后・高野新笠崩御、および翌延暦9年(790年)の皇后・藤原乙牟漏崩御の際に、いずれも山作司を務めている。
延暦13年(794年)に参議に任ぜられて公卿に列し、延暦15年(796年)従四位上と昇進するが、翌延暦16年(797年)6月25日卒去。享年56。最終官位は参議従四位上兼大蔵卿。
注記のないものは『六国史』による。
『尊卑分脈』による。
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