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荘 毅(中国語: 庄毅、1973年7月11日 - )は、中華人民共和国のサッカー選手、実業家。元中華人民共和国代表。ポジションはFW。
中国プロサッカー最年長出場記録および最年長得点記録(44歳327日)保持者である。
1994年に遼寧足球倶楽部でサッカー選手となった。同年の得点ランキング2位につけ、中国サッカー協会年間最優秀新人賞の初代受賞者となった[1]。1995年末に降格したため、翌年からは2部でプレーする事となった。1998年に青島海牛足球倶楽部に移籍[2]。1999年1月に228万元で北京国安足球倶楽部に移籍[3]。同年6月に親善試合でアキレス腱を断裂したため、残りのシーズンを棒に振った[4][5]。
2000年1月に瀋陽海獅足球倶楽部に60万元で移籍[6]。しかしこれは彼の遼寧ユース所有権獲得と合わせた取引であった[7]。2000年シーズンを彼は結局無出場で終え[7]、更に同年11月には裁判の末に遼寧ユースの所有権も失った[8][9]。2001年に選手を引退した。
1996年に毅興実業有限公司と毅智足球学校を設立[10]。1999年7月に渤海大学と提携しサッカースクールを設立、後に中国サッカー・乙級リーグに2つのクラブを参戦させた[11]。同年10月末に遼寧ユースの51%の所有権を獲得[12]。しかし遼寧スポーツスクールの反対によってクラブ全体の獲得には失敗、2000年7月にはこのスポーツスクールと裁判を行い[13]、同年11月に二審で敗訴した[8]。
また2000年7月には瀋陽建築工程学院と提携したスクールを作った。2013年にスクールは学院から離れた[10]。
2015年に瀋陽城市足球倶楽部を設立[14]。同年、アマチュアリーグを4位で終え昇格、中国サッカー・乙級リーグに昇格、それと同時に背番号9番で現役復帰した[15]。2017年までは出場する事がなかったが、2018年5月12日の試合で67分から出場、42歳348日でアナトリー・ダヴィコフが持っていた記録を塗り替え、44歳305日で中国プロサッカー史上最年長出場記録となった[16]。6月3日の試合でも78分から出場し、44歳327日に出場記録を更新、さらにこの試合でペナルティキックを決めて中国プロサッカー最年長得点記録となった[17]。
1995年に中華人民共和国代表としての出場記録がある。同年2月19日のダイナスティカップ1995、大韓民国代表戦で初出場。同月23日の日本代表戦でも出場した[18]。
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