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鎌倉時代、後鳥羽院の命により、1か月交替で院に勤番した刀工 ウィキペディアから
番鍛冶(ばんかじ)は、鎌倉時代、後鳥羽院の命により、1か月交替で院に勤番した刀工である。「御」という敬称をつけて「御番鍛冶」(ごばんかじ)とも称される。彼らが鍛刀し後鳥羽上皇が焼入れした刀を菊一文字という[1]。また御番鍛冶筆頭であったことに因み、則宗作の刀剣と則宗自身も菊一文字の通名で知られている。
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後鳥羽院は刀剣の製作を好んだ。院は京都粟田口久国、備前国信房にその業を授けられた。承元2年、諸国から刀工12人を召して、水無瀬において毎月、刀を作らせた(12人の番鍛冶)。すなわち、
である。
このほかに、24人の刀工を召して毎月刀を作らせた(24人の番鍛冶)。すなわち、
である。
承久2年、後鳥羽院が隠岐にうつると、北条義時は執権の職を継ぐに際して、次の6人の番鍛冶を献じた(隠岐国の番鍛冶)。すなわち、
である。
1935年1月、大日本刀匠協会は、御番鍛冶制度を復活し、24人の月番鍛冶を選定した[2]。
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