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平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿 ウィキペディアから
源 通資(みなもと の みちすけ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿。村上源氏久我流、内大臣・源雅通の二男。官位は正二位・権大納言、淳和奨学両院別当[1]。
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
元久2年(1205年)、藤原隆忠が右大臣に転任したあと内大臣は不在となっていた。そこで同年6月17日に通資は内大臣に任ぜられるよう願い出たという[9]。この時、後鳥羽院は病を治してから願い出るよう伝えたのである[10]。しかし、それを任大臣の勅許を得たと通資は判断して世間に公表したということであった[10]。同月19日には八条院が通資を内大臣に任じるよう後鳥羽院に迫ったが、後鳥羽院は先ず病を治すよう主張して任内大臣を勅許しなかったという[11]。
結局、内大臣に任ぜられることなく通資は同年7月8日に薨去してしまったのだが、家人や雑人は「内大臣殿」と称していたという[12]。そして同月10日、通資の遺族は亡き通資を久世荘に葬送したのである[13]。
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