源 行国(みなもと の ゆきくに)は、平安時代後期の武将摂津源氏多田源氏源明国の長男。号に「多田蔵人大夫」。

概要 凡例源行国, 時代 ...
 
源行国
時代 平安時代後期
生誕 永保元年(1081年)?
死没 仁平3年9月26日1153年10月15日
別名 多田行国、多田蔵人大夫
官位 [1]従四位下蔵人佐渡
氏族 摂津源氏多田源氏
父母 父:源明国、母:掃部助高行女
兄弟 行国経光有頼盛隆
多田頼盛源国章多田頼憲源行智源仲国
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略歴

多田源氏の嫡流源明国の長男であるが、父が出世の過程で突然の配流となったために、まだ若年でありながら多田荘を継承したものと思われる。行国も父祖に同じく摂関家に仕えたが、その行動について記した史料は乏しく、明国の配流の影響で多田源氏が勢力を衰微させていたことが窺われる。

そうした中でも、仁平2年(1152年)、藤原頼長の依頼により、殺人を犯した興福寺の僧道継を多田荘の内部に匿ったことが『台記』に記されており、当時藤氏長者として権勢を強めていた頼長の腹心として行動していたことが推察されている。

翌仁平3年に死去。『尊卑分脈』には享年72とある。

脚注

関連項目

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