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湯沢 幸吉郎(ゆざわ こうきちろう、1887年(明治20年)5月2日 - 1963年(昭和38年)4月9日)は、日本の国語学者。
1887年(明治20年)、秋田県広山田村(現・秋田市広面)に農家の三男として生まれる[1][2]。広山田村立楢山尋常小学校卒。
秋田県立秋田中学校を経て1905年(明治38年)東京高等師範学校国語国文学科に入学、卒業後は富山県立薬学専門学校、東京府立第四高等女学校の教員となる[2]が、府立第四高女に勤めながら東京帝国大学国文学選科に進み、これを修了[3]、1915年(大正4年)文部省嘱託となる[1]。
1933年(昭和8年)東洋大学教授に就任[1]。以後、文部省図書監修官(1942年(昭和17年)就任)、早稲田大学教授(1949年(昭和24年)就任)、上智大学教授(1959年(昭和34年)就任)を歴任した[1]。
東京帝大助教授の橋本進吉(1929年には教授に昇任)の助言を受けつつ抄物の語法を体系的に整理し[1]、時間をかけて地味な研究を重ね[2][注 1]、1929年(昭和4年)12月、初の室町言語文法書となる『室町時代言語の研究』を発表した[1]。その頃の国語史研究としては、山田孝雄の『奈良朝文法史』『平安朝文法史』『平家物語の語法』などがあり、そのあとを受けて室町以降の語法史的整理を行うことは、湯沢の若い時からの宿志で、友人だった西尾実の話によれば、「大学の研究生時代から口にしていた」という[5]。1956年(昭和31年)には研究題目「近代国語の研究」で学士院賞を受賞している[1][6]。
とりわけ近世日本語を扱った『徳川時代言語の研究:上方篇』と『江戸言葉の研究』は、網羅的かつ包括的な記述と、広範に及ぶ豊富な実例の提示が散見される[7]。例えば「ら抜き言葉」の文献初出例や、現代日本語では珍しい仮名表記が掲げられている[8]。
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