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日本の法学者 ウィキペディアから
桑田 熊蔵(くわだ くまぞう、1868年12月30日(明治元年11月17日)[1] - 1932年(昭和7年)12月10日[1][2])は、日本の法学者。学位は法学博士。貴族院多額納税者議員。工場法実現のために尽力した。
現在の鳥取県倉吉市に大地主・桑田藤十郎の長男として生まれる。1893年(明治26年)帝国大学法科大学(現・東京大学法学部)卒業[1]。さらに大学院に進み、労働問題を専攻する。1896年(明治29年)金井延らとともに社会政策学会を起こし[1]、社会問題研究のためにヨーロッパに留学[1]。帰国後は労働者の実態調査に従事し[1]、1904年(明治37年)法学博士[1]。
1920年(大正9年)中央大学教授[1]。1930年(昭和5年)中央大学経済学部長等を歴任した。
1904年(明治37年)鳥取県多額納税者として貴族院議員に互選され[1]、同年9月29日[3]から、1918年(大正7年)9月28日まで2期在任した[2]。また、友愛会、中央慈善協会、協調会、日本赤十字社などの役員も歴任した[1]。墓所は多磨霊園。
娘・二葉は官僚、政治家の町村金五に嫁いだ。金五の次男が官僚、政治家の町村信孝である。もう一人の娘・千枝子は、河合良成に嫁し、良一の母。
弟は東大教授の桑田芳蔵、阪大教授の桑田六郎。
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