松村英一
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松村 英一(まつむら えいいち、1889年12月31日 - 1981年2月25日)は、大正期から昭和期にかけての日本の歌人。本名は英一(ひでかず)。号に彩花(さいか)。
東京府芝愛宕下生まれ。小学校を中退後、職を転々としながら短歌や小説の執筆に励む。16歳より電報新聞(後の毎日新聞)の短歌欄に投稿を始め、窪田空穂の選を受ける。空穂選歌欄を母体に組織された「十月会」に参加し、半田良平や植松寿樹と出会う。「十月会」から発展した歌誌『国民文学』の編集に1917年より携わり、1937年には空穂の推薦により編集・発行人となる[1]。自然主義文学の影響による破調歌を経て、歌集『やますげ』から写実的歌風を確立する[2]。
生涯にわたって定職は持たず、短歌雑誌の編集などに従事。1917年、尾山篤二郎とともに史上初の短歌の総合誌『短歌雑誌』刊行にも参画した。日本歌人クラブや現代歌人協会の設立に尽力し、名誉会員となった。1959年、『松村英一全歌集』で第5回日本歌人クラブ推薦歌集(現・日本歌人クラブ賞)特別賞受賞。読売新聞歌壇選者、宮中歌会始選者も務めた。門下に山本友一、千代國一、生方たつゑなど。1981年、91歳で没する。墓所は小平霊園(16-19-7)。
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