東漢駒
日本の飛鳥時代の人物 ウィキペディアから
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東漢 駒(やまとのあや の こま)は、飛鳥時代の人物。名は盤(いわお)[2]または駒子とも記される。姓は直。志努直[1]の子。坂上駒子とも。坂上弓束の父。
用明天皇2年(587年)用明天皇が崩御すると大臣・蘇我馬子は大連・物部守屋を攻め滅ぼし朝廷の実権を握って崇峻天皇を擁立する[3]。やがて、崇峻天皇と対立関係となった馬子に命ぜられ、崇峻天皇5年(592年)11月に駒は崇峻天皇を暗殺する[4]。その後、駒は馬子の娘である河上娘(崇峻天皇の嬪)を奪って自らの妻とするが、河上娘を穢されたことを知った馬子に殺害された[5](崇峻天皇暗殺の口封じともされる)。
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