心岩寺
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心岩寺(しんがんじ)は、神奈川県座間市にある臨済宗建長寺派の寺院で、建長寺第75世悦岩興惟(えつがんこうい)禅師の法弟成英玉(せいえいぎょく)が開山し、この地の郷士白井織部是房(おりべこれふさ)が開基となり、白井氏の持仏堂を寺としたものである。
心岩寺 | |
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所在地 | 神奈川県座間市入谷西3丁目43番1号 |
位置 | 北緯35度28分58.4秒 東経139度23分47.0秒 |
山号 | 座間(ざけん)山[1] |
宗派 | 臨済宗[1] |
本尊 | 釈迦如来立像[1] |
創建年 | 1461年(寛正元年)頃 |
開山 | 成英玉(せいえいぎょく) |
開基 | 白井織部是房(おりべこれふさ)[1] |
文化財 | 釈迦如来立像、岩城常隆供養五輪塔 |
法人番号 | 3021005004824 |
山号は初め久光山心願寺、後に座間山心巌寺、江戸時代に座間山心岩寺と改められた。
新編相模国風土記稿(巻之六十六 村里部 高座郡巻之八)に以下の記述がある[1]。
「心巌寺 座間山と号す、臨済宗(鎌倉建長寺末)開山を成英と云ふ(文明十二年九月四日滅す、)開基は白井織部是房なり(法名心厳道誉文明元年五月四日死す)本尊釈迦を案ず(運慶作、長五寸五分、)」
心岩寺の本尊で、平安時代末期から鎌倉時代初期の制作であると考えられる。造像当時は金箔押であったが、現在ではほとんどが剥落し、わずかに衣丈のひだに残るだけである。
岩城常隆の追善供養のために寺の住職が建立した。岩城常隆は飯野平の城主で、1590年(天正18年)小田原征伐の折り、石垣山本陣において豊臣秀吉に謁見し、許されて帰国の途中、この地で客死した。
寺の東側台地に縄文時代中期の遺跡が分布し、南方約100メートルに鈴鹿横穴群があることなどから、先史時代からの生活用水だったと考えられる。また、根下(ねした)の神井戸(かめいど)の水、谷戸山の水とあわせて「天水」と呼ばれ、入谷地区の水田の灌漑にも利用された。
湧水が流れ込む境内の池は不動池と呼ばれ、滝のほとりには不動尊がまつられている。
本堂に向かって左側にヒトツバタゴがあり、初夏に可憐な白い花を咲かせる。
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