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室町時代後期の公卿 ウィキペディアから
徳大寺 実通(とくだいじ さねみち)は、室町時代後期の公卿。官位は正二位権大納言・右近衛大将。初名は実規。父は左大臣徳大寺公胤。母は畠山尚順の娘。養子に内大臣徳大寺公維。
永正16年(1519年)に従五位上に叙爵。以降、侍従・左近衛中将などを歴任、大永7年(1527年)に従三位となり公卿に列する。その後、権中納言を経て、天文元年(1532年)に権大納言に就任。またこの年に実通と改名。しかし経済的に困窮し、天文3年(1534年)に最初の北国下向。天文5年(1536年)には一度帰京し、従二位・正二位と昇進し、天文11年(1542年)右近衛大将。しかし天文14年(1545年)に京都で戦乱がおこった際に再び北国へ逃れ、越中国放生津城へ入ったが、同地で神保長職により殺害された。享年33。
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