尾形 月山(おがた げっさん、明治20年〈1887年〉9月10日 - 昭和42年〈1967年〉12月27日)とは、明治から昭和にかけての浮世絵師、日本画家。
来歴
本名は田井正子(たい まさつぐ)。東京の京橋桶町に尾形月耕の子として生れる。父月耕より絵について師事を受け、はじめ月三(げっさん)と称した。明治33年(1900年)、13歳で連合絵画共進会に「花に駒」が三等褒状を受賞し注目される。その後も同展、日本美術協会展で受賞を重ね、日月会、巽画会会員となる。明治37年から明治38年頃には日露戦争関係の錦絵を描いている。明治41年(1908年)に文展初入選、第2回で三等賞、第3回第4回で褒状を受賞。大正9年(1920年)より号を「月山」と改める(読みかたは変わらず「げっさん」)。昭和19年(1944年)、伊豆修禅寺に疎開し、戦後も同地で画作を続けた。人物や仏画に秀で、代表作に「大仏開眼供養図」、「達智門の図」などがある。墓所は雑司ヶ谷霊園。
息子に画家の尾形礼正(おがた ひろまさ)がいる。なお比較的メジャーな展覧会、専門書などでも、「月山」の読み方を「げつざん」と堂々と記しているものが多いが、これは明らかな誤りで、正しくは「げっさん」(Gessan)である。
作品
錦絵
- 「工兵第四大隊金州城門破壊の図」 大判3枚続 明治37年 松木平吉 (5代目) 版 悳俊彦コレクション
- 「南山之役中尉柴川又三郎君立陣頭捧旭日軍扇指揮士卒」 大判3枚続 明治37年
- 「旅順開城須将軍会見乃木将軍」 大判3枚続 明治37年
- 「遼陽之役敵将黒鳩公戦略齟齬総軍大敗公勇奮自立陣頭血戦」 大判3枚続 明治37年
- 「日本海之海戦」 大判3枚続 明治38年
肉筆画
絵本
月山は有職故実に通じ、歴史的考証に基づいた挿絵にも実力を発揮した。中でも「講談社の絵本」シリーズにおける仕事は評価が高い。
脚注
参考文献
Wikiwand in your browser!
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.