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明治時代の浮世絵師 ウィキペディアから
安達 吟光(あだち ぎんこう、嘉永6年(1853年)[1] - 明治35年(1902年)12月5日[要出典])は、明治時代の浮世絵師。
師系不詳。姓は安達、名は平七。初め松雪斎銀光と称し、明治3年(1870年)頃、銀光の名前で戊辰戦争の錦絵を描き、明治7年(1874年)以降、吟光と改名する。真匠、松斎とも号す。日本橋堀江町や南鍋町に住んだ。作画期は明治3年(1870年)から明治33年(1900年)頃の間で、明治7年(1874年)には「講談一席読切」という大判錦絵50番続の役者絵を銀光の名で描く。明治10年(1877年)に起こった西南戦争の錦絵の「鹿児島新聞・河尻本陣図」、「鹿児島新聞・熊本城戦争図」の辺りから活動が目立ってくる。また安達吟光の画名で「東京名所」の作品がある。その後壬午事変、日清戦争、義和団の乱、議会関係といった報道画ともいえる錦絵が続き、その他に役者絵、芝居絵、名所絵も描いている。また「古今名婦鏡」や「貴女裁縫之図」などといった美人風俗画もよく知られている。
明治22年(1889年)、宮武外骨の雑誌『頓智協会雑誌』に大日本帝国憲法発布をパロディ化した「頓智研法発布式」を描いたことで不敬罪に問われ、重禁錮1年・罰金50円・監視8か月の刑が下された[2]。
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