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米韓相互防衛条約に基づき韓国内に駐留するアメリカ軍 ウィキペディアから
在韓米軍(ざいかんべいぐん、英: United States Forces Korea, USFK)または 駐韓米軍 (ちゅうかんべいぐん) は、大韓民国に駐在しているアメリカ軍である。アメリカインド太平洋軍傘下のサブ統合軍である。
第二次世界大戦後に駐在していたが、朝鮮戦争の際に国連軍主力部隊として派遣され、規模が拡大した。朝鮮戦争後も一定のプレゼンスを保っている。ニクソン、カーター時代から削減が始まり、90年代より世界的な米軍再編により、段階的に削減されている。また、2010年の北朝鮮軍と韓国軍との武力衝突(延坪島事件)では、米軍の介入をめぐり緊迫した情勢となり、改めて統帥権の問題が注目を浴びた。
在韓米軍と韓国軍は対等の関係であるが、戦時には米韓連合司令部の作戦統制下に置かれ、統合指揮される。なお、国連軍司令官・米韓連合軍司令官・在韓米軍は同一人物であり、兼職となっている[1][2]。
ジョージ・W・ブッシュ政権は在韓米軍の兵力の一部をイラク戦争に投入した。
2010年5月に再編後も約28,500人規模の兵力を維持することが決定されている。内訳は、陸軍20,000人、空軍8,000人、海軍300人、海兵隊100人、特殊作戦軍100人。スローガンは『fight tonight(今夜戦う{その準備が出来ている})』である。
韓洪九は韓国における米軍の法的地位の歴史を次の4段階に分けている。
(韓洪九:韓国現代史)
これ以外にも、韓国国内では米軍の駐屯費用の負担に対する反発が根強く米韓の摩擦が続いている(2007年時点の韓国側の負担率は42%)。作戦統制権も平時については1993年に韓国による単独行使が可能となったが、戦時には米韓連合司令部がこれを握る。韓国では米韓連合軍司令部の作戦統制権を主権の侵害として捉える傾向が強かった。また韓国政府は北朝鮮との軍事分界線付近を中心に広大な土地を米軍に貸与する一方、米軍基地の周辺住民への補償や支援はほとんど行ってこなかった。こういったことが韓国における反米軍感情の温床になってきた。
1999年9月29日AP通信が朝鮮戦争中米軍が韓国人民間人を虐殺したノグンリ事件を大々的に報道し、2002年6月13日には京畿道楊州郡広積面孝村里で米第2歩兵師団工兵隊装甲車による女子中学生2名の死亡事故が発生したことによりローソクデモなど反米運動の高まりがみられた(議政府米軍装甲車女子中学生轢死事件)。
現在進行中の在韓米軍再編を基礎づける「米韓連合土地管理計画」(LPP:Land Partnership Plan)の目的の一つは、米軍駐留にともなう韓国国内の反発を緩和することであった。しかしLPPによる米軍基地の集約・移転をめぐっても、少なからぬ摩擦が生じているのが現状である。
在韓米軍は年次で韓国軍と合同軍事演習を実施している。
在韓米軍には、その時局に応じて起こりうる有事を想定した作戦が存在していた。これらの作戦は、立案後に締結される条約や共同宣言など社会情勢の変化により、現在では失効しているものもあると考えられている。ごく簡単にまとめると次のようになる。
画像 | 氏名・階級 | 任期 |
---|---|---|
ジョージ・デッカー大将 | 1957年7月1日 - 1959年6月30日 | |
カーター・B・マグルーダー大将 | 1959年7月1日 - 1961年6月30日 | |
ガイ・S・メロイ大将 | 1961年7月1日 - 1963年7月31日 | |
ハミルトン・H・ハウズ大将 | 1963年8月1日 - 1965年6月15日 | |
ドワイト・E・ビーチ大将 | 1965年6月16日 - 1966年8月31日 | |
チャールズ・H・ボーンスティール3世大将 | 1966年9月1日 - 1969年9月30日 | |
ジョン・H・ミカエリス大将 | 1969年10月1日 - 1972年8月31日 | |
ドナルド・V・ベネット大将 | 1972年9月1日 - 1973年7月31日 | |
リチャード・G・スティルウェル大将 | 1973年8月1日 - 1976年10月8日 | |
ジョン・ヴェッシー・ジュニア大将 | 1976年10月8日 - 1979年7月10日 | |
ジョン・A・ウィッカム大将 | 1979年7月10日 - 1982年6月4日 | |
ロバート・W・セネワルド大将 | 1982年6月4日 - 1984年6月1日 | |
ウィリアム・J・リブジー大将 | 1984年6月1日 - 1987年6月25日 | |
ルイス・C・メネトリー大将 | 1987年6月25日 - 1990年6月26日 | |
ロバート・R・リズカシー大将 | 1990年6月26日 - 1993年6月15日 | |
ゲイリー・E・ラック大将 | 1993年6月15日 - 1996年7月9日 | |
ジョン・H・ティレリー大将 | 1996年7月9日 - 1999年12月9日 | |
トーマス・A・シュワルツ大将 | 1999年12月9日 - 2002年5月1日 | |
レオン・J・ラポート大将 | 2002年5月1日 - 2006年2月3日 | |
バーウェル・B・ベル大将 | 2006年2月3日 - 2008年6月3日 | |
ウォルター・L・シャープ大将 | 2008年6月3日 - 2011年7月14日 | |
ジェームズ・D・サーマン大将 | 2011年7月14日 - 2013年10月2日 | |
カーチス・スカパロッティ大将 | 2013年10月2日 - 2016年4月30日 | |
ヴィンセント・ブルックス大将 | 2016年4月30日 - 2018年11月8日 | |
ロバート・B・エイブラムス大将 | 2018年11月8日 - 2021年7月2日 | |
ポール・ラカメラ大将 | 2021年7月2日 - |
韓国は米韓防衛費分担金特別協定に基づき在韓米軍の駐留経費負担(日本の思いやり予算に相当)を行ってきた。
2017年に就任したドナルド・トランプ大統領は、米軍が駐留する各国に対して負担増を要請。韓国に対しても2018年以降、10度以上の負担額の増加を見据えた交渉が行われ、2019年2月10日に1兆380億ウォンの負担を盛り込んだ仮協定の署名が行われた。額としては前契約比8.2%増。期間は5年契約から1年契約と短縮されたものとなっている[8]。
2019年7月23日、ジョン・ボルトン国家安全保障問題担当大統領補佐官が来韓。韓国側に在韓米軍の経費負担増を働きかけたことが報道された[9]。8月7日にはトランプ大統領が改めて韓国の負担増額について協議を開始したことを明らかにしている[10][11]。2019年11月19日、米韓担当者による交渉が行われたが、韓国側は50億ドルとみられる負担額に難色を示したため、アメリカ側が席を立つ形で交渉を終えた[12]。
2020年には、交渉が妥結しない場合、同年4月より在韓米軍勤務の韓国人に対して無給休職を通告する可能性があると通知している(日本政府が雇用し、給与を支給する在日米軍の駐留軍等労働者と異なり、在韓米軍が雇用し、給与は米韓防衛費分担金特別協定に基づく駐留経費から支払われているため)[13]。2020年2月24日には、マーク・エスパー国防長官と鄭景斗国防相の会談が行われたが不調に終わった[14]。その後も交渉がまとまらず、4月1日からは韓国人労働者約4000人が無給休職に追い込まれた。6月2日、アメリカ国防総省は韓国国防部が提案していた、協定とは別に先に在韓米軍韓国人の人件費を韓国側が支払うことに合意した[15]。ドナルド・トランプ前大統領派は在韓米軍の完全撤退を考えていたとされる[16]。
2021年のジョー・バイデン大統領への政権交代後、3月10日韓国外交部は報道資料を出し、第11回米韓防衛費分担特別協定(SMA)について、合意に至ったと発表した。1年以上続いた特別協定の空白状態が解消された[17]。
2021年4月23日、退任したトランプ前大統領は、在韓米軍の駐留経費に関する声明を発表。「韓国から支払いを約束された追加の数十億ドルについて、バイデン政権は支払いを求めることすらしない」と現政権を批判したほか、韓国の文在寅大統領についても「指導者、交渉人として弱腰だった」と批判した[18]。
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