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司馬 承禎(しば しょうてい、643年 - 735年)は、唐の玄宗の時の著名な道士。茅山派・第12代宗師。晋の宣帝司馬懿の弟の子孫。高祖父は司馬裔。曾祖父は司馬翃。祖父は司馬晟。父は司馬寔(字は仁最)。兄は司馬承祐・司馬承禕。
字を子微といい[1]、潘師正に師事し、辟穀・導引(気功)の術に精通していたという。[2]諸国の名山を遊歴した後、天台山に庵を構えて住んでいた。721年に玄宗皇帝から宮中に迎え入れられ、帝に親しく法籙(道士としての資格)を授けた。天台山に桐柏観と王屋山に陽台観を、そして五嶽に真君祠を建立したのは承禎の進言によるという。737年に道士を諫議大夫という大役に任命し、741年には崇玄学という道教の学校を設置し、その卒業生が科挙の及第者と同等に官吏となれるようにしたなど、政治に道教が深く関わるようになったのは、玄宗に対する承禎の影響力を物語る。篆書、隷書に通じ、玄宗の命を受けて『老子』の校訂にも携わった。[3]八十九歳で没し、銀青光禄大夫の官を贈られ、諡号を「貞一先生」と賜った。。[4]
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