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キリスト者、青山学院の校長、東洋英和女学院理事長。 ウィキペディアから
古坂 嵓城(こさか がんじょう、1888年(明治21年)1月2日 - 1974年(昭和49年)11月16日)は、日本の教育者。青山学院大学学長[1]、青山学院院長・理事長。
メソジストの牧師古坂啓之助の二男として、福島県白河に生まれる[2]。青山学院の母体のひとつである「耕教学舎」を創立した、ジュリアス・ソーパーより洗礼を受ける[3]。
1908年、福岡県立中学修猷館を卒業[2]。修猷館の同期には、法学者田中耕太郎がおり、親友であった[4]。1911年、青山学院高等科を卒業[2]。1917年に渡米して、オハイオ・ウェスリアン大学を卒業、シカゴ大学大学院を経て、1923年、コロンビア大学大学院経済学科を修了後に帰国し、母校である青山学院高等学部教授に就任する[2]。
青山学院において、商科長、高等学部長、高等商業学部長、女子専門部長、女子専門学校長、大学商学部長を経て[3]、1952年、青山学院大学学長に就任[1]。1956年、豊田實の後を受け第10代青山学院院長に就任すると、「青山学院十年計画」にもとづき、各部の施設充実を推し進めるとともに、1959年に大学法学部を新設し、戦後の青山学院が総合学園に発展する基盤を整えた。1971年からは青山学院理事長を務めた[3]。東洋英和女学院理事長も務めている。教育者の古坂つぎは妻。
1974年11月16日、脳血栓症のため死去。享年86歳。11月23日、青山学院講堂において告別式が行われる[5][6]。
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