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原楔形文字(proto-cuneiform)は、メソポタミアに出現した原文字の体系であり、最終的にその地域の初期王朝第Ⅰ期の古拙文字に発展した。稀に、古楔形文字(archaic cuneiform)と呼ばれることもある。この文字は、数千年前からその地域一帯で既に用いられていたトークンに基づく体系から生じた。後の楔形文字がシュメール語の表記に用いられたことは間違いないが、原楔形文字で書かれたテキストの根底にある言語は、未だ不明なままである。
紀元前9千年紀の間、トークンに基づいた体系が古代オリエントの様々な場所で用いられるようになった。これらは、印のついたトークンへ、そして粘土のブッラとして知られている印のついた封筒へと発展した[1][2][3][4]。 通常、トークンは、原楔形文字の発達の基礎であると同時に、それと同時期の原エラム文字の書記体系の発達の基礎になったものであると想定されている。というのは、発見されたトークンの3分の2は、後にエラムとなる地域の最も重要な都市スーサで発掘されたものだからである。これらのトークンは、原楔形文字と原エラム文字が発達した後も使われ続けた[5][6][7][8][9]。
発見された最古の粘土板は、「数詞的な」文字を含むものであり、数字のリストだけで構成されていた。これらの粘土板はスーサやウルクだけでなく、様々な遺跡からも見つかっており、その中にはテル・ブラク、ハブバ・カビラ、テペ・ヒッサル、ゴディン・テペ、ジェベル・アルダといった、後の原エラム文字や原楔形文字を持たない遺跡もある[10][11][12][13][14]。原楔形文字は、現在、ウルク第Ⅳ期(紀元前3300年頃)と名付けられている時期に出現し、後のウルク第Ⅲ期まで用いられた。記号が変化し、融合していくのに伴って、原楔形文字は、時間の経過とともにゆっくりと進化していった[15]。最初に用いられたのは、ウルクにおいてであり、後にジェムデト・ナスルなどの他の場所へと広がっていった[16]。
紀元前2900年頃の初期王朝時代の到来とともに、シュメール語の表記に使われる標準的な楔形文字が出現したが、この時代から出土した粘土板は約400枚にすぎない。粘土板の多くはウルから出土したものであり、わずかにウルクから出土したものもある[17]。
シュメール人がメソポタミアに到着した時期については、学界で長年議論が続いている。一部では、言語学的な議論や証拠があるが、全体的に見れば、メソポタミアで、多くの根本的な変化が起こったことは明らかである。例えば、平凸煉瓦の使用などである。それと同時に、初期王朝時代第Ⅰ期に、シュメール語の最初の決定的な証拠が現れた。原楔形文字は、それがどのような話し言葉を記号化したものなのかについて、明確な手がかりを与えてくれないため、多くの憶測を呼んでいるが、たいてい、シュメール語であると推測されている[18][19]。
ウルク第Ⅴ期(紀元前3500年頃)、スーサ、そしてテペ・シアルクなどのその他のイランの遺跡から出土した約170枚の同様の粘土板は、原楔形文字との類似性はあるものの、原エラム以前のものであると考えられている[20]。 このカテゴリーでは、記号のリストと翻字はあまり明確ではない[21]。
原エラム文字と同様に、この文字体系の伝播は比較的限られていた。発見された原楔形文字の大部分(約4000点)は、古代のウルクから見つかったが、エアンナ地区の中でも、二次的なコンテキスト(物体が放棄された後に、自然の力または人間の活動によって移動させられた状況にあること[22])で見つかっている。粘土板は主に次の二つのスタイルに分類される:
これらはそれぞれ、紀元前3100年頃のウルク後期と紀元前3000年頃のジェムデト・ナスル期に相当する[23][24]。粘土板の多くは、後にウルク第Ⅲ期エアンナ神殿群の建設時に基礎の充填材として使用された。これらの記録は、一時的な実用性や興味のためであり、すぐに廃棄されたようである。複雑な層序が原因で、発掘層に基づく粘土板の呼び方から、書体段階(script phase)IVとIIIという呼び方に変更された。粘土板と同様に、以前は容器や扉の固定に使われていた粘土の印章も、剥がされた後に最終的に盛り土の中に埋もれてしまった[25]。 この遺跡と印章の分析から、粘土板は別の場所に由来し、最終的にウルクで廃棄されたことが示唆されている[26]。
ジェムデト・ナスル、ウンマ、ラルサ、ハファージャ、キシュ、テル・ウカイルでは、わずかな数の粘土板が発見された[27][28][29]。これらの粘土板は断片的でないことが多く、層化されたコンテキストで発見されることもある。中には、様々な個人や公的なコレクションに収蔵されているものもあり、内部の手がかりから粘土板の出所を特定できるものもあるが、出所不明のものもある[30][31]。例えば、1988年に、バーゼルのスイス・エルレンマイヤー・コレクションから82点の保存状態の良い完全な粘土板がオークションにかけられ、そのほとんどが公的なコレクションになった[32]。
1920年代にステファン・ラングドンが発掘中に発見した素晴らしい粘土板は、しばしば「キシュの粘土板」と呼ばれる。この石膏模型は現在アシュモレアン博物館に所蔵されており、オリジナルはバグダッド博物館に所蔵されている。オリジナルはバグダッド博物館にある。この粘土板の年代は不明である[33]。
未知の、完全に機能する書記体系を解読するためには、学者は通常、その根底にある話し言葉の知識やいくつかの対訳テキスト、そして大規模なコーパスを必要とする。原楔形文字の解読には、これらの方法のいずれも利用することが出来なかったが、原楔形文字は完全な書記体系ではなく、行政経済の表記に特化した書き方であったので、解読が可能であった。それらの文書は、項目のリストのような、定型化され、かつ具体的なものであった[35][36]。
1928年には既に、テキストの最初の出版に伴って、原楔形文字の直接の後継者で最古の楔形文字であるファラ(Fara)の記号との類似性に基づいて、数詞の記号リストが作成されていた。六十進法の数詞と面積の数字も、本質的に同じものであった[37] 。原楔形文字と原エラム文字の数学の体系は、1970年代から数十年かけてほぼ解読された[38][39][40][41]。しかし、一部の点に関しては不明なままであり、一般的に合意されているいくつかの点については論争が続いている。例えば、(ŠE system E)は容積の尺度であると考えられているが、これはウルクIV層にしか見られず、後のウルクIII層には見られず、容積の尺度の標識を欠いているため、現在も難題のままである[42][43]。
現在、約2000種の原楔形文字が存在し、数詞に関するものが約350種、個別の表意文字が約1100種、複合文字(個々の記号の組み合わせ)が約600種である[44]。数詞以外の記号については、約40,000回もの生起が証明されている。約530種の記号が1回のみ、約610種が2回から10回、370種が11回から100回、約104種が100回以上である[36] 。大麦やエンマー小麦を表すものを含む、多くの記号がこれまで確認されている[45]。
原楔形文字の根底にある数詞の底は、後の楔形文字と同様、六十進法(底が60)である[46][47] 。初期の研究者たちは、この体系はそれ以前の十進数(底が10)の基層から生まれたと思っていたが、現在ではその考えは通用しなくなっている[48]。
異なる生産物に異なる測定体系が用いられ、コンテクストによって変化する可能性があった。1枚の粘土板の中で(Bisexagesimal System B)は穀物の配給量に、(ŠE system Š)は大麦に、(ŠE system Š")はエンマー小麦に使用された。もうひとつは、(ŠE system C)で、(通常は穀物の)容量を表す[49]。全部で13の数詞体系 (Sexagesimal, Sexagesimal S', Bisexagesimal, Bisexagesimal B*, GAN2, EN, U4, ŠE, ŠE', ŠE", ŠE*, DUGb, DUGc) があり、同時期の原エラム文字の書記体系では7つしか使われておらず、60の原楔形文字の数詞記号のうち、半数しか用いられていなかった[50][51]。
原楔形文字の最大のテキスト群(ウルク第IV期から約2000枚、ウルク第Ⅲ期から約3600枚)は、会計文書(経済記録)である[52]。そこには、人、家畜、穀物などの様々な項目が含まれている。紛らわしいことに、しばしば多数の書き方がある。例えば、人は性別と年齢(成人、未成年、赤ん坊)によって、あるいは性別なしで年齢層(0~1歳、3~10歳など)によって記載される[53]。
もう一つの大きなテキスト群(ウルク第Ⅳ期では十数例、ウルク第Ⅲ期では約750例)は「語彙リスト」と呼ばれるもので、これはウルク第Ⅳ期に出現し、ウルク第Ⅲ期で急増した。これは、金属、都市、道具など、定められた物理的カテゴリーに属する項目のリストである[54][55][56][57]。この慣例は初期王朝時代や古バビロニア時代まで続いた[58][59][60]。
ウルクから発掘された原楔形文字のテキストは、書籍のシリーズとして出版された(ATU)
他の遺跡から発掘されたもの (MSVO)
原楔形文字を符号化するUnicodeのブロックは、2020年に最初に提案された[44]。原楔形文字の後の楔形文字の形を符号化する文字はコンソーシアムに承認されているが、原楔形文字のものは、まだコンソーシアムに公式に承認されていない[61][62][63]。
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