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北角 源兵衛(きたずみ げんべえ、 ? - 元治元年3月18日(1864年4月23日)[注釈 1])は、江戸幕府の幕臣、大坂東町奉行所の与力[1]。
元治元年3月18日、源兵衛は大坂平野町渡辺筋西入ル辺の「菖蒲橋と申す御霊裏門[注釈 2]」で斬殺され、首を切断されたあと、遺骸はその場に残された[1]。
首は西横堀川助右衛門橋の欄干にさらされた。その場に建てられた捨札には、
東与力 北角源兵衛
此者、是迄上には尊王攘夷を唱へ、内には奸謀を逞し、無罪之者を殺害致し、甚敷に至ては強富之町人へ致狼藉、無実之事を申洩し、天下之人心を惑乱致させ天地に不可容罪人に候間、加天誅、同類追々探索次第、可加誅罰事。
元治元年三月十八日
と書かれていたという[注釈 3]。この札に書かれていたことが事実かどうかは不明である[1]。
しかし、『島津家国事鞅掌史料』『寒胆帖』『平野屋武兵衛日記』などには、この死体は浪人者で身元は不明としており、罪状書には名前は記されていなかった。幕末史研究家の菊地明は、『官武通紀』や『野分のあと』に「大坂東町奉行組与力北角源兵衛」と書き添えられていたのは、事件後に身許が判明したために、名前を書き加えたのではないかと推測している[2]。
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