伊江島
日本、沖縄諸島の島 ウィキペディアから
→島内の地勢ほか詳細については「伊江村」を参照
概要

沖縄本島本部半島の西海上5kmに浮かぶ島。島の東部にそびえる尖った「城山」(グスクやま)通称「伊江島タッチュー」が島のシンボルとなっている[1]。なお、歴史的には「伊恵島」と呼ばれた事がある(鹿児島藩による明治3年頃の人口統計より)。現在、島の面積の35.3%が米軍が占有する「伊江島補助飛行場」の管理下にある[2]。
第二次世界大戦(太平洋戦争)にて、昭和18(1943)年に飛行場建設計画にあげられ、延長1,800m幅員300mの滑走路の建設が決定された。昭和19(1944)年10月10日から空爆が開始され、昭和20(1945)年4月16日に上陸作戦が開始された。そして、4月21日午後5時30分に米軍から伊江島確保が宣言された[3]。
1945年8月、日本の降伏のため、降伏調印使節団が搭乗した緑十字機(安導権を示す緑十字のマークをつけた白塗りのDC3型と一式陸上攻撃機2機)と、アメリカ軍のDC4型機(ダグラス C-54 スカイマスター)に乗り換える中継地とされた[4][5]。
脚注
関連項目
外部リンク
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