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1194-1255, 鎌倉時代の廷臣。九条良経の次男。官位は正二位・権大納言。本姓は藤原。勅撰集『続古今和歌集』に5首入集 ウィキペディアから
九条 教家(くじょう のりいえ)は、鎌倉時代前期の公卿・書家。太政大臣・九条良経の次男。九条良輔の養子。官位は大納言。なお、家名に関しては養父の良輔が八条院の養子になった経緯から、九条家とは別の八条家という別の家の存在を指摘する説もある[1]。
12歳で近衛中将となり、承元元年(1207年)11月29日には14歳で従三位に叙される。建暦元年(1211年)1月に中宮権大夫、建保2年(1214年)1月に中納言、同6年(1218年)1月に中宮大夫、12月に大納言に任じられる。また、書家としても優れ、弘誓院流を確立する。
嘉禄元年(1225年)9月3日に32歳で明恵を戒師として出家した。『公卿補任』によれば「菩提心」によるものとされているが、一説によれば養父・良輔の没後、九条家の実権を取り戻した教家の実兄・道家による追い落としの圧迫を受けたことに加え、良輔・教家親子の後見人的な存在であった慈円が危篤に陥り(9月26日死去)、将来を悲観したとする説もある(教家の出家により、道家の嫡男九条教実は上臈大納言となり、更に教家が任じられていた橘氏是定の地位を奪った)。なお、3日後には良輔・教家父子に仕えていた藤原光家(定家の子)もこれに倣って出家している。
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