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建築家 (1867-1915) ウィキペディアから
三橋 四郎(みつはし しろう、1867年12月27日(慶応3年12月2日) - 1915年(大正4年)11月5日)は、明治期から大正初期の日本の建築家。領事館をはじめとする多くの官庁建築の設計に携わるとともに、鉄網コンクリート工法を考案したことで知られる。
1893年、帝国大学工科大学造家学科(後の建築学科)を卒業、陸軍省に入る。
1898年に逓信省技師となり、郵便局舎の建築にあたった。
1906年、東京市技師となり、営繕課長となる。しかし2年後の1908年には東京市を退職し、三橋建築事務所を東京に開設した。以後、外務省の嘱託として、中国東北部やロシア極東部において多くの領事館を設計した。設計した建築には、吉林領事館、奉天総領事館、長春領事館、牛荘領事館(実際の設置場所は営口)などがある。
1915年、ロシアのウラジオストクに領事館建築の設計監理のため滞在中、客死した。享年49(満47歳没)。
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