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ローレンス・バークレー国立研究所(英: Lawrence Berkeley National Laboratory、略称:LBLまたはLBNL)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州にあるアメリカ合衆国エネルギー省(英: Department of Energy、略名:DOE)の研究所。単にバークレー研究所、バークレーラボとも。 LBLは、物理、化学、生命科学、コンピュータ・サイエンス、エネルギー工学、ナノテクノロジー、環境工学などの広い分野にわたって研究を行っている。
ローレンス・バークレー国立研究所 | |
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正式名称 | Lawrence Berkeley National Laboratory |
日本語名称 | ローレンス・バークレー国立研究所 |
略称 | LBNL、LBL |
所在地 |
アメリカ合衆国 カリフォルニア大学バークレー校 北緯37度52分33.6秒 西経122度14分49.2秒 |
人数 | 4200 |
所長 | Michael Witherell |
設立年月日 | 1931年 |
所管 |
アメリカ合衆国エネルギー省 カリフォルニア大学 |
公式サイト | lbl.gov |
運営は米国エネルギー省が直接行っているのではなく、カリフォルニア大学システムが代行している。またカリフォルニア大学バークレー校の所有地内に設置されているが、同校の付属研究所ではなく独立した組織である。
研究所ではスタッフ研究者(約千名)を含め、4,000人以上の人が雇用されており、カリフォルニア大学バークレー校からも多くの大学院生、大学生を受け入れて、研究を遂行している。
1931年にアーネスト・オーランド・ローレンスがバークレー校のキャンパスの中に作った放射線研究所(Radiation Laboratory)が前身である。1940年に現在の場所に移動。第二次世界大戦中及びその後1950年までは、マンハッタン計画などの国家機密に関する研究にも関わったが、現在そのような研究は行っていない[1]。
1950年以降、同じくローレンスの名を冠した、ローレンス・リバモア国立研究所に保安上の理由から、国家機密に関わる研究は移されている(国家核安全保障局、国防総省、国土安全保障省などの関わる研究開発が行われている)。その後、マンハッタン計画の理論研究部がおかれていた、ロスアラモス国立研究所へ移った。ローレンス・リバモア国立研究所及びロスアラモス国立研究所では、ゾーン管理が行われているため、機密レベルの高い研究者や公務員、軍人で無いと、一部の施設の視察や見学はできない。
それ以降、加速器利用研究を初めとして、電子顕微鏡の産業応用などの研究センターを設置し、現在はカリフォルニア大学バークレー校の大学院課程としても知られている。
嵯峨根遼吉は1935年東京帝国大学を卒業後、この研究所で3年間サイクロトロンの研究をした[2][3]。1940年9月理化学研究所の矢崎為一、渡辺扶生、飯盛武夫 (飯盛里安の長男)がサイクロトロンを視察するため訪れた[4]。しかし、日米関係が微妙な時期だったので、ローレンス所長には会えなかった。また、サイクロトロンの青焼き (設計図のコピー) をもらうことになっていたが、のちにこの約束も取り消しになった[5]。
(2016-現在): マイケル・ウィズレル
(2009-2016): ポール・アリヴィサトス
(2004-2008): スティーブン・チュー
(1989-2004): チャールズ・シャンク
(1980-1989): デイビット・シャーリー
(1973-1980): アンドリュー・セスラー
(1958-1972): エドウィン・マクミラン
(1931-1958): アーネスト・ローレンス
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