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京都府京都市東山区にある料理店 ウィキペディアから
レストラン菊水(レストランきくすい)は、京都府京都市東山区の料理店である。1916年(大正5年)創業であり[1]、京都における西欧料理の草分け的な存在として知られる[2]。
創業者の奥村小次郎は1916年(大正5年)5月1日にレストラン「菊水館」を創業した[4]。小次郎はそれまで、神戸の湊川神社前と、京都の南座前で、「菊水せんべい」という瓦せんべい屋を営んでいた[1][5]。秋山徳蔵の弟子である藤原某と、上海のニューカールトンホテルの支配人を招聘し、営業を開始した[5]。開業から10年後の1926年(大正15年)に、西洋館の店舗を設営した[1]。昭和の御大典にあたっては、仕出しを担当したほか、李王家・久邇家などの御用も受けた[6]。
2代目の小四郎は東京商科大学を卒業し[5]、太平洋戦争中も配給食を用いてレストランの営業を続けた。戦後、同店舗は進駐軍の酒保に指定された。また、小四郎は、京都初の屋上ビアガーデンをつくった[1]。京都大学を卒業した3代目・忠は、1955年(昭和30年)に屋号を菊水館からレストラン菊水に改称し、1階部分をオープン・カフェ形式に改装した[1]。4代目・洋史は京都産業大学を卒業したのちファーストフードチェーンに就職していたが、1995年に菊水に入社した[7]。
初代店舗は、せんべい屋を改装した店舗であった[5]。当初の建物は大正初期に建造された[8]、木造モルタル3階建てであり[9]、上階を金閣寺風にしている[8]。
2代目店舗は、1926年(大正15年)施工[1][2][10]。京都の工務店である、上田工務店の建造であり[10]、創業者の奥村小次郎は、この建物をデザインするに当たって、フランク・ロイド・ライトの設計である東京の帝国ホテルや、上海のカールトンホテルなど、各所の建築を見て回った[8]。RC5階建てであり[2]、眺望を意識した窓の配置によって、リズム感のある左右非対称の外観となっている[10]。京都市内の洋食店としては、いちはやくエレベーターを設置した店舗であった[5]。
放物線を描くエレベーター塔屋にみられるよう、表現主義を基調としているが[2][8]、スパニッシュ様式の瓦など、当時流行していた様々な様式が各所に散りばめられている[2][10]。大正期の京都の新建築活動の規範的作品であり、1997年(平成9年)5月7日には登録有形文化財に指定された[2]。
1921年(大正10年)ごろ、菊水館の支店として建てられ、小次郎の長女であるこうが営んでいた[11]。京都におけるカフェーの草分けのような店であったものの[5]、1960年代に閉店したという。こうの孫にあたる孝は、同じ場所でバーを開いたが、これもこうの死後に畳み、オムライス店である「くるみ」を開いている[11]。
菊水館の向かい側である南座の西館2階には、洋風定食を提供する「菊水食堂」があり[12]、同じく小次郎が経営していた。営業不振のため1931年(昭和6年)7月に突如閉鎖を発表した。従業員は全労京都連合会とともに争議をおこない、8月には経営者の妻の実家に人糞が撒かれるといった事件もおきた。8月30日には、食堂閉鎖の取り消し、一部人員の解雇などを通じて、同争議は解決した[13]。
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