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ムアンチャンタブリー郡(ムアンチャンタブリーぐん)はタイ中部・チャンタブリー県の郡(アムプー)。同県の県庁所在地(ムアン)でもある。
チャンタブリーとは「月の街」という意味である。古くはチャンタブーンとよばれた。
チャンタブリーは最初はチョーン族(モン・クメール語族)が13世紀ごろに住み着いたのが最初と考えられ、クアンクラブリーと呼ばれる小国をチャンタブリーにつくった[1]。現在はチョーン族はカオキッチャクート郡に居住している。
アユタヤ王朝時代には重要な地方都市の一つであり[2]、「官印法」によればコーサーティボーディー(クロマター、港務省)の管轄下にあった[3]。1657年、チャンタブリーは移動させられチャンタブリー川の西側に移動した。
1767年、アユタヤ王朝が崩壊すると5000のビルマ軍がチャンタブリーを占領した。このとき、タークシン王を主と仰ぐ500人の兵士がチャンタブリーを包囲し兵糧攻めにして駆逐した。これは、チャンタブリーの人が誇りを持つ出来事である。
その後ラーマ3世(ナンクラオ)はベトナムの侵略を避けるため街を移動したが、ラーマ5世(チュラーロンコーン)は街を元あった場所に戻した。
1893年パークナーム事件が勃発するとフランス軍が駐留した、その11年後チャンタブリーはフランスに返還された。
1933年チャンタブリー県が成立。チャンタブリーは郡となった。
チャンタブリー川の形成した平地にある。市内の重要な水源もチャンタブリー川である。
国道3号線が西から東南に通っており、西にラヨーン方面、東南にトラート方面とつながっている。国道317号線が東北に延びておりサケーオ方面とつながっている。国道3249号線が北に延びており、カオキッチャクート方面と通じている。
郡の主要な産業は農業で、ランブータン、ドリアン、マンゴスチンなどの生産が行われている。
郡は11のタムボンに分かれ、さらにその下位に98の村(ムーバーン)がある。自治体(テーサバーン)があり、以下のようになっている。
また、郡内には8つのタムボン行政体(オンカーンボーリハーンスワンタムボン)がある。
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