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マーティン D-45は、マーティン (C.F.Martin & Co., Inc.) 社によって1933年から製造されたアコースティックギター。厳選された素材・特別な作業工程で生産され、マーティンのシリーズモデルではトップに君臨し、外観も贅沢な装飾を持つため一般に"豪華なギター"の代名詞として認識されている[1][2]。1942年、戦時物資制限のため生産が停止したが、1968年から再び製造開始された。1942年の製造中止までに製作された91台は、プリ・ウォーと呼ばれ希少価値が高い。
最初のD-45は、マーティンD-28をベースに豪華な装飾を施したドレッドノート・ギターで、1933年に"最も大きくて派手なマーティン"を注文したアメリカのカントリー歌手 ジーン・オートリーのために特別に製作された[2][3]。現在、このギターはロサンゼルスのジーン・オートリー・アメリカン・ウエスト博物館でガラスケースの中に展示されている[4]。
翌年、マーティン社はミルウォーキー出身の12歳の歌うカウボーイ ジャッキー・"キッド"・ムーアのために製作した[5]。この最初の2本は12フレットネック(ネックとボディの接合位置)で、その後作られたほとんどのもの(1937年製作の6番目を除く)は14フレットネックであった。1936年・1937年に2本ずつ製作され、D-45がカタログに掲載されたのは1938年である[6][7]。ほかに、D-45S(特殊ネック・1939年)、D-45L(左利き用・1940年)などのバリエーションがある[6]。D-45をトップモデルとしてドレッドノート・シリーズは他にD-28・D-18がある[8]。
1942年第二次世界大戦の影響により、D-45(アーチトップなど他のマーティンモデルも含め)の生産を正式に停止[6]。この初めのシリーズはわずか91本の製造であった[1]。
D-45の製造が停止された後、ギター製作者や職人が、装飾の少ないD-28にパールの縁取りやネックブロックの刻印をカスタマイズして、D-45に似せて高価なモデルとして販売するようになっていた。その職人の一人が、テネシー州のバンジョー奏者マイク・ロングワースで、マーティン社はD-45を復活させるために彼を特別に雇い入れた。1968年に発売された新しいD-45は1,200ドルで、当時のアメリカ製フラットトップ・スチール弦ギターとしては最も高価だった。1969年までに、プリ・ウォー(ファースト・シリーズ)の2倍のD-45を販売し、購入者にはデヴィッド・クロスビーやジミ・ヘンドリックスも含まれていた[1]。1971年には12弦モデルが、1973年にはさらに別モデルが製作された[1][6]。
また、ロングワースはより手頃な価格のD-41を設計し、パール・インレイを施しD-45のように改造できないように配慮されている[1]。1968年以降、マーティンはC.F.マーティン・シニア記念D-45(1996年200本)、C.F.マーティン・シニア・デラックスD-45(1996年91本)などの特別仕様を多数生産している[6]。
1933年から1942年にかけて製造されたモデル("プリ・ウォー[戦前の] マーティン"とも呼ばれる)は、これまでに製造された最も高価なギターの一つ。2005年の出版物には135,000ドルの出品が記されており、2011年のVintage Guitarの価値あるギターランキングでは、プリ・ウォー D-45が25〜40万ドルで1位に選ばれている[2][9]。ジョージ・グルーンは、プリ・ウォー D-45は "デザインに大きな差が無いにもかかわらず、最新モデルの20倍以上の値がつく "と言及している[10]。
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