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バリー・アンドリューズ[注釈 1](Barry Andrews、1956年9月12日 - )は、イングランドの歌手、ソングライター、ミュージシャン、キーボード奏者である。
バリー・アンドリューズ Barry Andrews | |
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生誕 | 1956年9月12日(68歳) |
出身地 | イングランド ロンドン・ウエストノーウッド[1] |
ジャンル | ファンク・ロック、ニュー・ウェイヴ、アート・ロック、エクスペリメンタル・ロック |
職業 | ミュージシャン |
担当楽器 | ボーカル、キーボード |
活動期間 | 1976年 - |
レーベル | アイランド・レコード、Malicious Damage |
共同作業者 | XTC、イギー・ポップ、リーグ・オブ・ジェントルメン、シュリークバック、ギャング・オブ・フォー |
1970年代後半から1980年にかけてXTCやリーグ・オブ・ジェントルメンのメンバーとして活動した後、シュリークバックを共同で結成した[1][2]。ブライアン・イーノと幾つかのプロジェクトでコラボレーションしており、最近では2005年のアルバム『アナザー・デイ・オン・アース』にキーボードでゲスト参加している。
1976年、アンディ・パートリッジとコリン・モールディングが結成したグループに参加。彼を迎えた同グループは名前をXTCに変更した。2枚のアルバムに参加後、1978年にXTCを脱退し、ソロ・キャリアを開始した[2]。
XTC在籍中、トーキング・ヘッズのニューヨーク公演の前座を務めた彼の演奏ぶりを見たロバート・フリップ(ギター)に招かれ、アルバム『エクスポージャー』(1979年)の制作に参加した[3]。イギー・ポップのアルバム『ソルジャー』(1980年)でデヴィッド・ボウイ、アイヴァン・クラール、グレン・マトロック、クラウス・クルーガーと共演した[4]。
1980年3月、フリップが結成したリーグ・オブ・ジェントルメンにサラ・リー(ベース)らと参加した。彼等は同年12月までの約7か月間に渡ってヨーロッパと北米で広範囲にわたるツアーを行ってクラブや大学で演奏した後、1981年2月、アルバム"The League of Gentlemen"をフリップ名義で発表した[5]。
また彼は「レストラン・フォー・ドッグズ (Restaurant for Dogs)」を率いた[6]。1981年、元ギャング・オブ・フォーのベーシストであるデイヴ・アレンとシュリークバック(Shriekback)を結成した[7][注釈 2]。
彼の最も注目すべきソロ曲は、1980年代半ばにBBCラジオ1でアン・ナイチンゲールのリクエスト・ショーにて放送された「Win a Night Out with a Well-Known Paranoiac」だった。このシングルのA面はロンドンのメリルボーンにある通りにちなんで名付けられた「Rossmore Road」である。
1980年代後半、彼はイルミナティ (Illuminati)というバンドのメンバーを務め、後にレフュージズ (The Refugees)や7evenと共演した[2]。
近年、シュリークバックは本質的にソロ・プロジェクトとなり、彼は数枚のアルバムをリリースした。最近では「Malicious Damage」レーベルから『Life in the Loading Bay』(2010年)をリリースしている。
アンドリューズは、ミュージシャンであることに加えて彫刻家であり家具職人でもある。息子のフィン・アンドリューズは、ロンドンを拠点とするバンド、ザ・ヴェイルズのリードシンガー/ソングライターを務めている。
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