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ネヴァ川(ネヴァがわ、ロシア語:Нева ニヴァー)は、ロシア北西部のラドガ湖からカレリア地峡を経てサンクトペテルブルク市内を流れ、フィンランド湾東端のネヴァ湾(Neva Bay)に注ぐ全長約74kmの川である。
ラドガ湖の南西部シュリッセリブルクから流れ出した川は、トスナ川と合流する辺りで最南端に達し、その後、北西方向に流路を変えてフィンランド湾に注ぐ。
全長74kmのうち、28kmはサンクトペテルブルク市内を流れ、残りの大部分もレニングラード州内を流れる。川幅は平均して約400から600m、最も広いところでは1,200mにおよぶ。最も深いところの水深は24mである。
ネヴァ川水系には、ヨーロッパ最大のラドガ湖と2番目のオネガ湖がある。流域も広く、ロシア北西部とフィンランド南部の広範囲が含まれている。
河口付近のデルタは元からある入江と人工的に作られた運河によって形成されている。河口にある最大の三角州はサンクトペテルブルクの中心となっている。河口の三角州に様々な宮殿があるヴァシリエフスキー島があり、少し上流の分流の中洲にはエラーギン宮殿のあるエラーギン島がある。
川幅が広く航行可能なため、中世の時代からバルト海沿岸と東洋との交易において重要な位置付けをされていた。1240年にはこの川を巡りネヴァ河畔の戦いが起きている。この戦いに勝ちロシアを侵略から守ったノヴゴロド公国のアレクサンドル・ネフスキーには、「ネヴァの勝者」を意味する「ネフスキー」の名が与えられている。
16世紀には河口付近にスウェーデンの要塞ニエンシャンツが作られ、ラドガ湖の出口にはロシアのシュリッセリブルク要塞が作られている。その後、河口の要塞は1703年により海に近い「ペテロとパウロの要塞」に移転している。ハレ島に立つこの砦が今日のサンクトペテルブルクの元となっている。
1777年と1824年に記録的な氾濫を起こしている[1][2]。1963年8月21日には、この川に旅客機が不時着水した。
ネヴァ川の水源は次の通り。
ネヴァ川は下流で次のような分流をする。
右岸へ
左岸へ
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