テターボロ空港
アメリカの空港 ウィキペディアから
アメリカの空港 ウィキペディアから
テターボロ空港(Teterboro Airport)は、アメリカ合衆国ニュージャージー州のバーゲン郡にあるゼネラル・アビエーション用の代替空港である。テターボロ、ムーナチー、ハスブルック・ハイツの3町(ボロウ)にまたがっている[2]。ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社 (PANYNJ) が所有と管理を行い、運営はAFCOグループのAvPORTSが担っている。空港はニュージャージー・メドウランズにあり、マンハッタンのミッドタウンから約20キロメートルの距離にある。この近さゆえに、企業や個人が所有する航空機によく使われる。空港は航空機に45,000kg (100,000ポンド) 以下という重量制限をかけているので、商業空港としての利用はできなくなっている。
テターボロ空港 Teterboro Airport | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
IATA: TEB – ICAO: KTEB – FAA LID: TEB | |||||||||||||||
概要 | |||||||||||||||
空港種別 | 公共 | ||||||||||||||
運営者 | ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社 | ||||||||||||||
所在地 | ニュージャージー州バーゲン郡 | ||||||||||||||
供給都市 | ニュージャージー州バーゲン郡 テターボロ | ||||||||||||||
ハブ空港とする 航空会社 | トレードウィンド・アビエーション | ||||||||||||||
標高 | 9 ft / 3 m | ||||||||||||||
座標 | 北緯40度51分00秒 西経074度03分39秒 | ||||||||||||||
ウェブサイト | www | ||||||||||||||
地図 | |||||||||||||||
FAA airport diagram | |||||||||||||||
バーゲン郡 / ニュージャージー州 / アメリカ合衆国内の位置 | |||||||||||||||
滑走路 | |||||||||||||||
| |||||||||||||||
統計 (2010) | |||||||||||||||
発着数 | 171,406 | ||||||||||||||
拠点社数 | 121 | ||||||||||||||
空港の面積は3.35km2で、テターボロ町の大半を占めている[3]。格納庫やオフィスに0.36km2、滑走路などの航空用スペースに1.65km2が使われており、残りの1.33km2は未利用地である。空港は1,137人以上を雇用しており、その90%以上が常勤労働者である。
2009年4月、FAA (連邦航空局) は、離着陸時にバードストライクが発生する率が全米で3位 (10万回に43回) であることを発表した[4]。
テターボロ空港は、国内外にチャーター機を飛ばす多くのチャーター企業が拠点にしている[5]。
テターボロ空港は、ニューヨーク都市圏で最も古い空港である。ウォルター・テッター (Walter C. Teter, 1863-1929) は、1917年にこの土地を入手した[6]。ノースアメリカンが、第1次大戦中にこの土地に工場を稼働させていた。第1次大戦後、空港はオランダの航空機デザイナーであるアントニー・フォッカーの業務拠点として使われた。現在地の空港で最初の飛行は1919年に行われた。1926年にテターボロのコロニアル・エア・トランスポートは航空郵便を扱う最初の民間企業になった[7]。
第2次大戦中は米軍がこの空港を利用した。1949年4月1日、ニューヨーク・ニュージャージー港湾公社 (PANYNJ) は、空港を所有していたフレッド・ウェアラン (Fred L. Wehran) から買収した。その後、空港はパンアメリカン航空とその承継会社であるジョンソンコントロールズに、2000年12月1日までの30年間に渡ってリースされた。リース終了後、港湾公社が空港の運営に全責任を負うことになった[8]。
1954年1月、アーサー・ゴッドフリーは彼のダグラス DC-3で管制塔に接近飛行した。その結果、彼のライセンスは剥奪された[9]。
2003年、近隣住民への過度の騒音レベルを理由に、45トン (100,000ポンド) を越える航空機のテターボロ空港からの離陸禁止を継続する連邦法案が、下院議員であるスティーブ・ロスマンの支援で成立した[10]。
2016年5月、アルティメット・エアシャトルが、シンシナティの空港との間で乗客を輸送するサービスを週2便で始めると発表した[11]。
テターボロ空港は、海抜2.7m (9フィート) の場所に、340ヘクタール (830エーカー) を占めている。
空港にある23の格納庫は、総面積が53,140m2ある。大きなオフィス棟 (面積:12,486m2) がムーナチー通り90番にある。この他にオフィスやショップのスペースが、合計23,411m2ある。また、業務用の建物や、メンテナンス設備、3つの給油所がある[12]。
空港にはニュージャージー航空殿堂博物館がある。
現在の管制塔はFAA (連邦航空局) によって空港東部に建設され、1975年10月29日に業務を開始した。新しい管制塔が2017年中に供用開始される予定である[12]。
最初の管制塔はもう稼働していないが、木製の一部は今もインダストリアル通りでアトランティック・エビエーションの格納庫として利用されている。それは格納庫の北東部分に残っている[要出典]。
滑走路6/24は、長さが1,833m (6,013フィート)、幅が46m (150フィート) あり、高光度滑走路灯を備えている。滑走路6のアプローチには、ILS (計器着陸装置) と中光度進入灯を備えている。滑走路24のアプローチには、PAPI (進入角指示灯) と滑走路末端識別灯を備えている。滑走路6/24は2010年に上塗り舗装と溝彫りが行われた[12]。
滑走路1/19は、長さが2,100m (7,000フィート)、幅が46m (150フィート) あり、高光度滑走路灯と滑走路末端識別灯を備えている。滑走路1のアプローチは、VASIS (進入角指示灯) を備えている。滑走路19のアプローチは、ILS (計器着陸装置) とPAPI (進入角指示灯) を備えている。滑走路1/19は2011年に上塗り舗装と溝彫りが行われ、中央線と接地帯灯が導入された。騒音を抑制する手段として、滑走路19を使うことが推奨されている[12]。
空港には約6.8km (4.2マイル) の誘導路がある。大半は幅が18m (60フィート) で、中央線と誘導路灯が備わっている[12]。
2010年に153,250回、平均して1日に419回の運航を行った。65.6%はゼネラルアビエーションであり、34%はエアタクシー、0.3%は軍の利用であり、定期便は1%未満であった。121機がテターボロ空港を拠点にしている。その81%はジェット機で、10.7%はヘリコプター、6.6%は単発プロペラ機、1.7%は多発プロペラ機である[13]
ニュージャージー航空殿堂博物館が空港にある。1972年に設立され、航空分野での卓越した業績を州にもたらした人の名誉をたたえる、全米で最初の州立航空殿堂であった。近年の博物館拡張により、見学者は歴史的な航空宇宙分野の装備や遺物、写真、美術、大規模なモデルコレクションを見学することが出来るようになった。図書館には、4,000冊以上の蔵書と、数百点の航空に関するビデオテープがある[14]。
テターボロ空港へは、マンハッタンのミッドタウンにある港湾公社のバスターミナルから、ニュージャージー・トランジットバスのルート161 (定期路線)、ルート165 (平日運航)、ルート144 (繁忙期の平日に運航) で行くことができる[2]。テターボロ駅はニュージャージー・トランジットのパスカック・バレー線の最寄り駅であるが、空港の南西部へはウッドリッジ駅も近い。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.