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ダートマス伯爵(英: Earl of Dartmouth)は、グレートブリテン貴族の伯爵位。
イングランド海軍の提督ジョージ・レッグ(1647–1691)は、1682年12月2日の勅許状でイングランド貴族爵位デヴォン州におけるダートマスのダートマス男爵(Baron Dartmouth, of Dartmouth in the County of Devon)に叙された。彼は1688年にオラニエ公ウィレム(ウィリアム3世)の上陸を阻止するための艦隊の提督を務めていたため、名誉革命後、ロンドン塔に投獄され、そこで死去した[1][2]。
その息子で第2代ダートマス男爵位を継承したウィリアム・レッグ(1672–1750)は、トーリー党穏健派の政治家として南部担当国務大臣(在職1710-1713)や王璽尚書(在職1713-1714)などの閣僚職を務めた、そして1711年9月5日にグレートブリテン貴族爵位ダートマス伯爵(Earl of Dartmouth)とケント州におけるルイシャムのルイシャム子爵(Viscount Lewisham, of Lewisham in the County of Kent)に叙せられた[3][4]。
初代伯爵の死後、その孫にあたるウィリアム・レッグ(1731–1801)が第2代伯爵位を継承した。彼も商務長官(1765年-1766年)や植民地大臣(1772年-1775年)、王璽尚書(1775年-1782年)などの閣僚職を歴任している[5][4]。
2代伯爵の死後、その息子ジョージ・レッグ(1755–1810)が3代伯爵位を継承した。彼は襲爵前にトーリー党の庶民院議員を務め、1801年から1802年にかけてインド庁長官を務めた[4][6]。
3代伯爵の死後、その息子ウィリアム・レッグ(1784–1853)が4代伯爵を継承し、4代伯爵の死後はその息子ウィリアム・ウォルター・レッグ(1823–1891)が5代伯爵位を継承し、5代伯爵の死後はその息子ウィリアム・ヘンエッジ・レッグ(1851–1936)が6代伯爵を継承し、6代伯爵の死後はその息子ウィリアム・レッグ(1881–1958)が7代伯爵を継承した。いずれの当主も襲爵前にトーリー党・保守党の庶民院議員を務めている[4]。
7代伯の唯一の男子だったルイシャム子爵ウィリアム・レッグ(1913-1942)は第二次世界大戦の北アフリカ戦線で戦死したため、7代伯の死後は、その弟ハンフリー・レッグ(1888–1962)が8代伯爵を継承している[4]。
8代伯の死後はその息子ジェラルド・ハンフリー・レッグ(1924–1997)が9代伯爵を継承した。9代伯はリア・ブラザーズ(Rea Brothers)の取締役を務めたほか、ロイヤル・コーラル・ソサエティやアングロ=ブラジリアン協会(Anglo-Brazilian Society)の議長を務めた[4][7]。9代伯の妻レイン(旧姓マッコーコデール)は、1976年に9代伯と離婚した後、ダイアナ皇太子妃の父第8代スペンサー伯爵エドワード・スペンサーと再婚しており、したがってダイアナ皇太子妃の継母にあたる[8]。
9代伯の死後は、その息子ウィリアム・レッグ(1949-)が10代伯爵位を継承した。彼が2017年現在の当主である[4][9]。
本邸はウェストヨークシャーのマーズデンにあるブラックリー・ハウス(Blakelea House)[4]。
現当主ウィリアム・レッグは以下の爵位を保有している。
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