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ジェラール・ド・ヴィリエ(Gérard de Villiers, 1929年12月8日 - 2013年10月31日[1])は、フランスの著作家、ジャーナリスト、編集者。
ジェラール・ド・ヴィリエ | |
---|---|
誕生 |
1929年12月8日 パリ |
死没 | 2013年10月31日(83歳没) |
職業 |
小説家 ジャーナリスト、編集者 |
国籍 | フランス |
ジャンル | スパイ小説 |
代表作 | 「SAS」シリーズ |
ウィキポータル 文学 |
ド・ヴィリエは劇作家ジャック・ドゥヴァル(Jacques Deval)の息子としてパリに生まれた。パリ高等ジャーナリズム学院(Ecole Supérieure de Journalisme de Paris)を卒業し、1951年に、反ユダヤ主義とナチス・ドイツの賛美を掲げる極右週刊誌"Rivarol"への記事の執筆で記者としてのキャリアを始める[2]。
1952年にはアルジェリア戦争に従軍。復員後はフリーの記者として複数のメディアに記事を執筆する。記者としての姿勢は著しくモラルを欠いたもので、とりわけ1964年に"France-Dimanche"に寄稿した記事は重大な人権侵害を孕んでいた。フランスの女性歌手シェイラが、ホルモンバランスの乱れによる貧血を治療するために男性ホルモンの投与を受けていることを知ったド・ヴィリエは、シェイラが男性ホルモンの投与によって性転換しているかのように誤解を煽る捏造記事を執筆したことが知られる。この件はド・ヴィリエの独断ではなくシェイラの話題性を高めることを望んだマネージャーとの結託によるものだったが、ド・ヴィリエの捏造記事によってシェイラはその後何年も苦しみ続けたことを告白している[3][4][5]。
1965年から、スパイ小説『SAS』シリーズを書き始める。オーストリア人の王子にしてCIAエージェント、「プリンス・マルコ」ことマルコ・リンゲ(Malko Linge)の冒険を描くものである。「SAS」は、イギリス王室の「His Royal Highness(HRH、「殿下」の敬称)」のフランス語表記「Son Altesse Sérénissime」と、イギリス陸軍の特殊部隊「SAS」のもじりである。シリーズは200冊を数えている。タイトルには舞台となる地名がつけられている。また、その時代の事件が小説に取り込まれている。
「SAS」シリーズは映画化もされている。
SASシリーズは女性蔑視、外国人憎悪を煽る内容、サディズムと露悪的なエロを前面に出した作風、スパイ小説のマンネリズムに陥り創意工夫に欠けるストーリー展開などから一般的なフランスの文壇、ノワール小説や冒険小説の読者からは無視されている。一方で作中で描かれる国際情勢に関しては、よく取材されて正確に書かれているとの評価もある[8]。国際諜報機関についてよく取材されていることから、CIA工作員からもよく読まれているとの説もある[9]。
ド・ヴィリエは歯に衣着せぬ右派でもある。1981年に「Minute」誌で「国民戦線の中にある優れたもの」を理解したと公言した時には、極右への共感を表明したと批判され、作品が書店から姿を消した。しかし、ド・ヴィリエは自分の出版社で本を出版し、鉄道駅や空港で販売した[10]。ド・ヴィリエが経営する出版社では彼自身以外にも、セルジュ・ブリュソロやナディーヌ・モンフィス(Nadine Monfils)などの優秀な作家に執筆の機会を与えているが、他社では執筆させないような煽情的、あるいはグロテスクな内容の作品が多数を占めており、出版社経営に対するフランス文壇からの評価も冷ややかであった。
1981年には脱税で逮捕されている[11]。
著名なフランス知識人であるベルナール=アンリ・レヴィ(Bernard-Henri Lévy)は、英紙「ガーディアン」で、「SAS」シリーズを読むことが密かな愉しみであることを認めた[12]。
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