ゴールド・コースト歴史地区 (シカゴ)
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ゴールド・コースト歴史地区(Gold Coast Historic District)は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴにある歴史地区 (historic district)。シカゴのニア・ノース・サイド (Near North Side) 地区の一部に位置し、おおむね、North Avenue、Lake Shore Drive、Oak Street、Clark Street に囲まれている。
ゴールド・コースト歴史地区 (Gold Coast Historic District) | |
ゴールド・コーストの Oak Street Beach | |
所在地 | イリノイ州シカゴ、おおむね、North Avenue、Lake Shore Drive、Oak Street、Clark Street に囲まれている |
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座標 | 北緯41度54分22秒 西経87度37分41秒 |
建築家 | McKim,Mead & White、その他 |
建築様式 | ストリームライン・モダン、Italianate、Queen Anne |
NRHP登録番号 | 78001121 |
NRHP指定日 | 1978年[1]。 |
ゴールド・コースト周辺は、1871年のシカゴ大火の後に開発が進んだ。1882年には、億万長者の実業家ポッター・パーマーが、市街地の南にあるプレイリー・アベニュー (Prairie Avenue) から引っ越してきた。パーマーは、湿地だった一帯を埋め立て、後の Lake Shore Drive を拓き、Henry Ives CobbとCharles Sumner Frostの設計による、42室ある城のような大邸宅パーマー・マンション (Palmer Mansion) を建てた。ポッターに続いて、金持ちのシカゴ市民たちが近隣に移住し始め、この地区はシカゴで最も裕福な地区となった。
1980年代後半には、ゴールド・コーストと、隣接するストリータービル (Streeterville) を合わせた地域は、ニューヨーク市マンハッタンのアッパー・イースト・サイドに次いで、全米で第2位の富裕地区となっていた[2]。現在この一帯には、大邸宅、テラスハウス、高層コンドミニアムなどが混在している。観光の見所としては、20世紀前半までに建てられた建物が並ぶ Astor Street Districtや、ジェームズ・チャーンリー邸 (James Charnley House) などがある。
この地区は、1978年に、アメリカ合衆国国家歴史登録財に加えられた[1]。
厳密には歴史地区の一部に含まれていないが、近隣の East Lake Shore Drive District や、ストリータービルの北部、湖岸に近いマグニフィセント・マイルの一部などは、ゴールド・コーストの一部と見なされることがあり、有名な高層建築 860-880 Lake Shore Drive Apartments もこうした隣接地域にある[3]。市役所の作成した地図では、ゴールド・コーストの範囲を、南側に位置するノースウェスタン大学のシカゴ・キャンパスまで広げて表現している。
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