グラン=プラス (ブリュッセル)
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グラン=プラス(フランス語:Grand-Place, オランダ語:Grote Markt グローテ=マルクト、フローテ=マルクト)は、ベルギーのブリュッセルの中心地にある大広場。ヴィクトル・ユゴーが賛嘆したことでも知られるこの大広場は、世界で最も美しい広場のひとつといわれている[1]。1998年にユネスコの世界遺産に登録された。
グラン=プラスは美しい広場であるが、華やかな歴史ばかりに彩られていたわけではない。1523年にプロテスタントの最初の殉教者たちであるヘンドリク・フォエス(Hendrik Voes)とヤン・ファン・エッセン(Jan van Essen)がこの地で火刑に処された。
大同盟戦争中の1695年8月13日に、当時木造だった広場の家屋はヴィルロワ元帥に率いられたフランス軍の砲撃によって大半が破壊された[4]。市庁舎の塔は砲撃の的になったが、石でできた壁は放火による火災に耐えた。広場を囲む家々は様々なギルドによって石造りで再建された。このため、市庁舎以外のほとんどの建物は、この時以降のものである。
市庁舎(仏: Hôtel de Ville)は1402年から1455年の間に建造された。上述の歴史的経緯から、この建物は中世におけるグラン=プラスの建築様式を伝える唯一の証人となっている。オリジナルを建築したのはヤコブ・ファン・ティエネン (Jacob van Thienen) だったようである。若き日の勇胆公シャルルが1444年に礎石を置いた右側は、ギヨーム・ド・ヴォーゲル (Guillaume de Voghel) の手になるものである。ゴシック様式の96メートルの塔はヤン・ファン・ルイスブロエク (Jan van Ruysbroek) が手がけたものであり、頂上には竜を打ち倒す天使ミシェル像が飾られている[4]。ミシェルはブリュッセルの守護天使である。
市庁舎の非対称性も注目される。一瞥した印象とは裏腹に、市庁舎の塔は建物の中央にはない。また、右半分と左半分は少し違っている。ブリュッセルの人々に知られている古い伝説では、この誤りに気付いた建築家は頂上から身投げしたのだという。だが実際には、左右が一緒に建造されたわけではなかった。
王の家 (仏: la Maison du Roi) は、12世紀以降パン市場として親しまれた木造建築物で、それゆえオランダ語では「パンの家」(broodhuis) と呼ばれる。15世紀になると石造にかわり、ブラバント公の行政庁が置かれた。これが理由で人々はこの建物を「公の家」と呼ぶようになり、公がスペイン王になると「王の家」と呼ぶようになった。のちにカール5世は自分の塔をゴシック様式で建てさせた。現在もその姿を見ることが出来ているように思えるが、実際には当時の塔も回廊も存在しない。1695年の砲撃などで損害を蒙ったためであり、現在のものは1875年にネオゴシック様式で再建されたものである。
建物は1985年に改築され、市立博物館になっている。
グラン=プラスは様々なギルドを淵源に持つ建物に囲まれ、壁に飾られた包丁や樽、手押し車などの紋章がそれぞれの職業をあらわしていて、これらの建物にはそれぞれ名前が付けられている。
この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
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