キム・ワンソン
韓国の歌手 (1969-) ウィキペディアから
韓国の歌手 (1969-) ウィキペディアから
キム・ワンソン(김완선、金緩宣、1969年5月16日 - )は、韓国の歌手。1980年代中半から1990年代初頭にかけて韓国で絶大な人気を誇り、さらに日本でシルエット名義、台湾で金莞萱名義でデビューした。2011年に韓国歌謡界に復帰した。
彼女はキム・チャンフンにプロデュースされ1986年に「今夜(오늘밤)」でデビュー。ダンシング・クイーンと呼ばれるほどの高いダンス力を武器に、瞬く間に韓国最高のアイドルスターの地位を獲得し、ゴールデンディスク賞新人賞、KBS歌謡大賞新人賞を始め、その年の新人賞を総なめにする。また、日本の朝日放送テレビのおはよう朝日ですにも出演して「今夜」を歌唱したこともある。
その後も順調にヒットを重ね、1987年から1991年まで5年連続でKBS歌謡大賞歌手賞を受賞するなど、韓国歌謡界最高の人気スターとして君臨する。中でも、1990年の「ピエロは私たちを見て笑うだろう(삐에로는 우릴 보고 웃지)」は100万枚の売上を記録し自己最大のヒットを記録する。
1989年には、シルエットの名義で日本デビューも果たした。
日本では「ランバダ」をカバーし、「今夜」の日本語歌詞、「一人庭の前で」などで活動し、コンサートを行ったこともあるが良い成果が残せなかった。
1992年、今までのダンスポップのイメージからバラード色の強い「哀愁(애수)」を発表する。この年の11月以降韓国での活動を休止。韓国歌謡界から事実上の引退をした。しかし、本人は後に「引退宣言は企画された偽り引退だった」と明らかにした。[2]
1994年に台湾に活動拠点を移し3枚の北京語(國語)アルバムをリリースする。台湾でのバラエティー番組にも多く出演し、「高麗妹」と呼ばれた。その後、1996年、2002年、2005年に韓国でアルバムをリリースして一時的ではあるが韓国歌謡界に復帰する。
2011年4月に初のEPアルバム「Super Love」で6年ぶりに復帰する。復帰後はミュージックバンク、開かれた音楽会、ショー!音楽の中心などに出演し、精力的に活動。10月には「Be Quiet」をリリース。この曲では、BEASTのヨン・ジュンヒョンがフィーチャリングで参加している。
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