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アロイス・リーグル(Alois Riegl、1858年1月14日 - 1905年6月17日)はオーストリアの美術史家。ウィーン学派の創始者と見なされる。
1858年、リンツに生まれた。ウィーン大学に入学し、フランツ・ブレンターノやアレクシウス・マイノングの哲学・歴史学のクラスに所属して学んだ。同時にジョヴァンニ・モレッリの下でモーリス・タウズィング(Moritz Thausing])と共に美術品鑑識方法の研鑽を積んだ。学位論文『レーゲンスブルクのヤコブ教会(スコット協会)』を提出して卒業した。
1883年に歴史研究所の研究員となり、1886年からはオーストリア帝室芸術産業博物館(現在のオーストリア応用美術博物館)の学芸員となった。1889年、中世の暦に関する研究を書き上げて教授資格を取得。しかし博物館での勤務を続けて10年間勤務し、最終的にテキスタイル部門の責任者(ディレクター)となった。1891年、初の著書である『東洋のアンティーク・カーペット』を出版。1993年、2冊目の著書『様式への問い:文様装飾史の基盤構築』[1]を刊行し、この著書によって革新的な美術史研究者としての評価を得た。
2冊目の著作に対する評価もあり、1897年にウィーン大学教授に就任。大学では、当時はただ単にルネッサンスの退廃的な終焉と考えられていたバロック美術に着目して講義を行った。また、美術様式の発展と歴史文化の間の関係の解明に魅了されていた。しかし、癌のために47歳の若さで死去した。死後に未発表の著書が関係者の手で刊行され、かつての彼の学生らによってその芸術観は支持された。
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