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ロシアのサッカー選手 ウィキペディアから
アレクセイ・イヴァーノヴィチ・ブガエフ(ロシア語: Алексей Иванович Бугаев, 1981年8月25日 - )は、現ロシア・モスクワ出身のサッカー選手。ポジションはDF。
1981年、父イヴァンと母ヴァレンティーナとの間に現ロシアの首都モスクワにて生まれる[1]。2つ年の離れた兄アンドレイ、3つ年の離れた弟にセルゲイ、5つ年の離れた妹にユリヤ、6人家族の次男として育つ[1]。モスクワのアルバート通りに面した共同住宅で生活し、その後ルジニキにあるアパートに移り住む[1]。体操に準じていたが遠く離れた場所にあった為にモチベーションが低下し、3年間体操に準じた後に諦めた[1]。
№ 168学校ではスポーツに傾倒し、アマチュアチームでサッカーをプレー。近くにあるルジニキ・スタジアムでプレーしていた時に、FC FSM・トルペド・モスクワからスカウトされ入団。最初のコーチはユーリー・カルノフであった[1]。
キャリアはFCトルペド・モスクワのリザーブチームのFCトルペド-2・モスクワで始めた。2000年4月23日、ロシア・セカンドディビジョン(実質3部)第1節のFCディナモ・ボログダ戦(1-0)でデビューを飾った[2]。翌年にはトップチームに昇格をした。2001年5月12日、ロシア・プレミアリーグ第9節のFCソコル・サラトフ戦(6-2)でトップディビジョンデビューを果たした[3]。
しかし、その後は出場機会に恵まれなかった。そんな折りにロシア・ファーストディビジョン(実質2部)のFCトム・トムスクで監督をしていたヴァレリー・ペトラコフのからの申し出があり、それを受け入れ移籍を果たす[1]。トムではレギュラーとして出場しファンから最優秀DFと認識された[1]。 2002年5月24日第10節のFCメタルルグ・クラスノヤルスク戦(2-1)ではキャリア初ゴールを決めた[4]。
2003年、トムで経験を積んだブガエフはFCトルペド・モスクワに移籍をした。トルペド在籍中ではロシア代表を指揮していた、ゲオルギー・ヤルツェフから招集を受ける[1][5]。2004年5月25日、オーストリア代表との試合でA代表デビューを飾った。UEFA EURO 2004では23人の内の一人として代表に選出され、ポルトガル戦やギリシャ戦に出場した。
2004年シーズン終了後、ブカエフを売却したいトルペド側はブガエフにFCロコモティフ・モスクワへの移籍を提案した[6]。2004年12月28日、FCロコモティフ・モスクワに3年契約で移籍をするが[7]、出場は8試合に留まり[8]、1年でクラブを去る。2006年、FCトム・トムスクに移籍。2008年トムとの契約を1年延長し[9]、8月28日にFCヒムキへシーズン終了までの契約で移籍をするがプレーする機会は無く、契約延長も求められなかったため退団。半年間フリーの身であったが、2009年7月に1年契約でFCクラスノダールへ移籍をした。2010年5月、契機満了によって退団をした[10]。
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