Sd.Kfz.251 は、ドイツ のハノマーク 社が3tハーフトラック (Sd.kfz.11 )をベースに、戦車 部隊 に歩兵 を追随させるために1937年 から開発を開始した中型装甲兵員輸送車 の制式番号 を指す。この制式番号がドイツの装甲兵員輸送車の代名詞となった。ドイツ語 で"Mittlerer Schützenpanzerwagen"と表記される。
Sd.Kfz.250 同様、1939年 6月から生産が開始された旧型(A/B/C型)と、生産工数を減らすため形状が簡素化された1943年 9月から生産開始の新型(D型)に分けられる。旧型はプレス加工で装甲を曲げ、角を切り落としたような複雑で凝った構造になっており生産コストが高かった。それに対して新型は平板を溶接しただけの構造に改められ、車体側面の工具箱が装甲と一体化、運転席のバイザーなども省略化、兵員用ベンチシートもクッションの無い板張りとなり、最後期には一枚型のエンジン点検ハッチが後方に開くようになった。大戦による需要の急増に応え大量生産を行うための改良であったが、それでも生産が追いつかず、部隊の全車輌を本車で充足できたのは一部のエリート部隊に過ぎなかった。
総計15,252両ほど生産されたと言われ、装輪車両 と比べ良好な不整地走破性故に、戦車 に追随する歩兵 の輸送 手段として、装甲師団 において重要な役割を果たした。
しかし、より簡易で安価なアメリカ軍 のM3ハーフトラック に比べ、装甲 防御力では勝るものの、前輪に動力が無く、エンジン 出力も下回るため、より長い履帯 や凝ったサスペンション を持ちながら不整地・泥濘地での機動性 で劣っており、複雑・高価なわりには比較して高性能とは言い難い面もあった。
ワルシャワ蜂起 でポーランド国内軍 に鹵獲 されたSd.Kfz.251/1型 Ausf.D
Sd.Kfz.251/1
基本形となる装甲兵員輸送車 型であり、兵員 10名を輸送 可能。基本的には2丁の7.92mm機関銃 (MG34 またはMG42 )を装備し、兵員室 前方の防盾付き機銃架 および兵員室後方の機銃架に搭載可能であった[1] 。この他、車内から操作可能な重機関銃 架(sMG)搭載型・ロケットランチャー (ヴルフラーメン40 )搭載型・赤外線暗視装置 装備型(ファルケ)も存在した[1] 。
Sd.Kfz.251/2
8 cm sGrW 34 迫撃砲 搭載の重装備小隊 用支援車型。迫撃砲は車内に搭載したまま使用できたが、専用の台座が用意されているわけではなかった。A-D型まで全てのタイプで製造された[2] 。
Sd.Kfz.251/3
無線機 搭載の指揮 車型。搭載する無線機の相違によるバリエーションがあり、フレームアンテナ や星型アンテナを装備していた[3] 。A-D型まで全てのタイプで製造されたが、星型アンテナの方が通信 距離が長く、D型ベースの車両では全て星型アンテナが使用されている[3] 。
Sd.Kfz.251/4
7.5 cm leIG 18 歩兵砲 牽引用車型。1943年 に廃止されたため、D型ベースでは製造されていないと見られる[4] 。
Sd.Kfz.251/5
工兵 部隊 用の戦闘工兵車 型。工兵用機材を搭載している以外は基本型とほぼ同じである[5] 。1943年に廃止され、その多くは後述のSd.Kfz.251/7に改修された[5] 。
Sd.Kfz.251/6
上級士官 用の無線機搭載指揮車型。エニグマ暗号機 も搭載。A-C型をベースに製造され、多くはA型であった[6] 。
Sd.Kfz.251/7型 戦闘工兵車 "Pionierpanzerwagen"
Sd.Kfz.251/7
工兵部隊用の戦闘工兵車型。Sd.Kfz.251/5の発展型であり、突撃橋を装備。A-D型まで全てのタイプで製造された[7] 。
Sd.Kfz.251/8
装甲野戦救急車型。兵員室 内に担架 を搭載可能。7.92mm機関銃は装備されておらず、A-D型まで全てのタイプで製造された[8] 。車体には赤十字マークが描かれている。
Sd.Kfz.251/9型 7,5cm戦車砲 搭載支援車両 "Stummel"初期型
Sd.Kfz.251/9
7.5 cm KwK 37 戦車砲 搭載火力支援車型。搭載方法により前期型と後期型がある[9] 。前期型は兵員室の床に設置された台座に砲を搭載しており、兵員室前面の助手席側に砲を位置させるため、搭載位置は車体右舷側にオフセットしていた[9] 。後期型では車体自体に大きな改造を施さず、車体上に設置したフレームに7.5cm砲と防弾板 を取り付ける、Sd.Kfz.234/3 と同じ構造となった[9] 。これにより左右の射界が広がり構造は簡略化されたが、砲の搭載位置は高くなっている。前期型はC型およびD型、後期型は全てD型をベースに製造された[9] 。
Sd.Kfz.251/10
3.7 cm PaK 36 対戦車砲 搭載型で小隊長車用。対戦車砲の防盾がそのままの初期型と、小型化した標準型がある。A-D型まで全ての形式で生産されたが、多くはB型およびC型であった[10] 。
Sd.Kfz.251/11
電話線 敷設車型。電話線を敷設するためのリールを搭載している[11] 。
Sd.Kfz.251/12
砲兵 隊用観測車型。方位や距離の観測機材を搭載。1943年に廃止されたため、D型ベースでは製造されていないと見られる[12] 。
Sd.Kfz.251/13
砲兵隊用の聴音車型。1943年に廃止されたため、D型ベースでは製造されていないと見られる[13] 。
Sd.Kfz.251/14
砲兵隊用の音響測定車型。音波測定により測距を行う。1943年に廃止されたため、D型ベースでは製造されていないと見られる[14] 。
Sd.Kfz.251/15
砲兵隊用向けに敵火砲 の発射光測定観測車として1943年9月頃より開発されたが中止となり、量産にはいたらなかった[15] 。
Sd.Kfz.251/16
火炎放射器 搭載型。兵員室両側面にそれぞれ1基ずつ、2基の火炎放射器を搭載しており、兵員室前方の7.92mm機関銃も装備されている。1943年1月頃から実戦配備されており、ベース車体にはC型およびD型が用いられた[16] 。
Sd.Kfz.251/17
C型をベースに兵員室左右の装甲板 の形状を変更し、また、左右に開けられるように改造して2 cm Flak 38 機関砲 を搭載した対空自走砲 型と、D型をベースに2 cm KwK 38を搭載した小型砲塔 をもつ歩兵戦闘車 型が知られているが、前者は10輌しか製造が確認されておらず、ヘルマン・ゲーリング師団 高射砲連隊の第6中隊と第10中隊に配備された、空軍 部隊専用の改造車輌であるとする説もある[17] 。これに加え、前者の改造車体に対空機関砲を搭載せず、長距離無線機とフレームアンテナを搭載した指揮通信型も2輌製造された[17] 。
またこれらの他、2cm高射砲搭載 1t牽引車のように開放型後部デッキに2 cm FlaK 38を搭載した対空自走砲型も、アウト・ウニオン社により1944年3月から翌年2月までに604輌生産されているが、装甲化された車体前半部に対しシャーシと車体後部は非装甲であり、やはり分類上はSd.Kfz.251/17ではなく3t牽引車のバリエーション扱いとする説、大戦前半に使用されていた装輪無線装甲車の、Sd.Kfz.261のナンバーが与えられたとする説もある。
Sd.Kfz.251/18
砲兵部隊用観測・指揮車型。兵員室前方に地図を広げるための大型の台が設置されているのが特徴[18] 。
Sd.Kfz.251/19
移動式電話交換車型[19] 。
Sd.Kfz.251/20
赤外線照射灯搭載型。通称ウーフー。開発されたのが1944年 8月以降であり、生産車は全てD型の車両である[20] 。
Sd.Kfz.251/21
空軍で余剰となった航空機用機関砲を転用した、3連装対空機関砲(15mm MG 151 または2cm MG 151/20)搭載型。生産車はほとんどがD型の車両であるが、初期にはC型ベースの車両も少数製造された[21] 。
Sd.Kfz.251/22
7.5 cm PaK 40 対戦車砲搭載型。「可能な限り既存車輌を使った対戦車自走砲を生産すべし」という総統命令により開発された車輌の一つ。生産開始は1944年12月頃からで、生産車は全てD型ベースである[22] 。
Sd.Kfz.251/23
2 cm KwK 38搭載偵察車 型[23] 。以前は同型砲を搭載した17型と混同されていたが、17型とは異なりSd.Kfz.234/1 や38(t)偵察戦車と同型のヘンゲラフェッテ38型砲塔が搭載されている。ただし、本車のものとされる写真が合成であることから、計画のみで終わった可能性が高い。
また、戦後のチェコスロバキア での生産型で、Sd.Kfz.251を改良して、空冷 ディーゼルエンジン に変更し、兵員室に上面装甲や射撃ポート を加えた、OT-810 などがある。
かつて、タミヤ は自社製のSd.Kfz.251 Ausf.Cのプラモデル に、Sd.Kfz.251の製造メーカーである「ハノマーク 」の名を冠して販売していたことがある。また、同じくタミヤから発売されているSd.Kfz.251 Ausf.Dのプラモデルには「シュッツェンパンツァー」(Schützenpanzer)の名称が付けられているが、これはドイツ語 で「歩兵戦闘車 」に相当する語である。
Bruce Culver / Uwe Feist : Schützenpanzer , Ryton Publications, 1996