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日本の日本電気が製造販売したパーソナルコンピュータの製品群 ウィキペディアから
PC-9801シリーズは、日本電気(以下NECと表記)が開発していたパーソナルコンピュータの製品群の俗称で、一般的にはPC-9800シリーズのうち1982年(昭和57年)から1995年(平成7年)までの13年間開発された「PC-9801」から始まる型番の製品群を指す。シリーズ全体の正式名称である「PC-9800シリーズ」と混同されることもある。
当初、PC-9800シリーズは型番のみで機種が区別されていたため、世間では「PC-9801Vシリーズ」と、型番の後ろに「シリーズ」と付けて呼ぶことで世代や形態を分類することがあった。公式で愛称が設けられるようになった後も型番で分類する慣習は残っており、1993年(平成5年)にシリーズ主力機のラインが「PC-9821」から始まる型番の製品群「98MATE」(俗に言うPC-9821シリーズ)へ拡張されたとき、旧機種と「PC-9801」型番を引き継いだ直接的な後継機「98FELLOW」(98PENや一部の98NOTEも含む)は「PC-9801シリーズ」として分類された[1]。
1995年(平成7年)11月23日にはWindows 95と同時に98MATE VALUESTARシリーズが発売され、廉価機の分野もPC-9821型番のシリーズに移行した。これにより1982年(昭和57年)10月から長らく続いたPC-9801型番の表記および分類はその使命を終え、それ以降の新製品のラインナップから掲載されなくなった。
PC-9821登場前後までのPC-9800シリーズは、採用したCPU・グラフィックコントローラ及び筐体デザインの特徴により、大きく4つの世代に分類できる。
以下、各世代の機種と変遷を概観する。
1982年(昭和57年)10月13日に発表された初代機「PC-9801」(シリーズ名と区別するため「初代」または「無印」とも呼ばれる)は[2]、16ビットCPU Intel 8086互換のNEC μPD8086を5MHzで駆動し、128KBのRAM (Random Access Memory)(最大640KBまで拡張可能)を搭載する。グラフィック画面解像度は640ドット×400ドット8色。当時の水準としては高精細かつ高速なグラフィック処理のために、自社製の汎用グラフィックコントローラGDC(Graphic Display Controller μPD7220)を2個、テキスト用とグラフィック用にそれぞれ使用している。テキスト用GDCに付随してテキスト表示の滑らかなスクロールを実現するカスタムチップ(μPD52611)を搭載している[3]。このモデルはPC-8800シリーズの周辺装置を流用することを考慮して設計されており、新規ユーザーは高価な8インチフロッピーディスクドライブ (FDD) か小容量の5インチ2D (320KB) FDDを別途購入する必要があった。基本構成では数字と英文字、半角カナしか表示できなかったため、日本語ワープロソフトなどを使用するには漢字ROMボードを増設する必要があり、しかもJIS第2水準はサポートされていなかった[4]。カセットテープ録音再生装置を補助記憶装置とするためのカセット・インターフェースボードとして、PC-9801-03 CMTインターフェースボードがあった[5]。数値データプロセッサintel 8087が PC-9806 として提供された[6]。
初代機以降、CPUを8MHzに高速化してグラフィック画面を2画面に増強したPC-9801E、PC-9801Eと同様の変更に加えて5インチ2DD(両面倍密度倍トラック)FDDを本体に内蔵し、さらにJIS第1水準漢字ROMを標準搭載したPC-9801Fが発売された。PC-9801用に5インチ2DDインターフェースボードPC-9801-09[7]が、外付け5インチ2DDドライブとしてPC-9832-4W[8]等が用意された。
これらの機種の開発は1983年(昭和58年)2月頃に始まった。その時点ではPC-9801が発売してからまだ間もなく、PC-9801に対する市場の反応が定まっていなかったため、世間の注目を集めるような新しいマシンを出すか、PC-9801の延長で機能を強化するか、2つの案が上がっていた。結局、パーソナルコンピュータ販売推進本部長の浜田俊三は「今後はソフトウェア資産の蓄積が活かせないコンピュータは生き残れない」と考え、ソフトウェアとの互換性を重視しつつ既存の機種を強化する方向になった[9]。
両者とも初代PC-9801の2倍のVRAM (Video RAM) を搭載してグラフィック画面を2画面とすることで、画面をちらつかせることなくグラフィックを描画するダブルバッファリングを可能にしている。一方で、多数の汎用ロジックICで構成されていたアドレスデコードやVRAM用の回路は12個のカスタムチップ ( ASIC:Application Specific Integrated Circuit ) に統合され、信頼性の向上や消費電力・製造費用の削減に貢献した。PC-9801Eは初代PC-9801と同じく外付け8インチFDDとの使用が想定された一方、PC-9801Fはそれまで周辺装置のラインナップになかった新しい5インチ2DD (640KB) FDDを内蔵した。PC-9801FにはFDDを1台内蔵したF1と2台内蔵したF2の2つのモデルが存在したが、F1よりF2の需要が圧倒的に上回った。製品計画を担当した小澤昇はPC-9801Fで2DD (640KB) のFDDを採用した理由について、「9801クラスのパソコンでは業務に使うオフコンクラスのアプリケーションが中心になる上、日本語処理の都合もあるため、320KBでは少ない。640KBでギリギリ。本来は1MBが望ましい。ただ、1MBの8インチFDDは高価で、5インチFDDは信頼性が低くて特殊なフロッピーディスクが必要になる。その意味では640KBがベストチョイスだと思います。320KBのデータもそのまま読み取れますし。」と述べた。キーボードが本体に比べて大きいことについて、「指の大きさや膝に乗せて使う人など操作性を考慮して、キーの配列やキー同士の間隔を決めている」と説明した[9]。 PC-9801F/Eに続き、富士通のFM-11BS対抗のため、2HD(両面高密度)フロッピーディスクドライブ(以下FDD)とマウスインタフェースボードを搭載したPC-9801Mも登場した。PC-9801Mは2DDフロッピーディスクを読み取れないため、既存のPC-98ユーザーには不評であったが、後年に2HDフロッピーディスクで供給されるソフトが普及すると、中古市場において2DDフロッピーディスクしか読み取れないPC-9801VFよりもPC-9801Mの方が高値で取引される状況になった[10]。
1984年(昭和59年)10月に、PC-9801F1にハードディスクドライブ(SASI HDD、容量10MB)を搭載し、RAMを256KBに増量したPC-9801F3が、翌年の1985年(昭和60年)5月にはPC-9801M2のFDDを1台に減らしてハードディスクドライブ(SASI HDD、容量20MB)を搭載したPC-9801M3が発売されている。
この世代の機種は、NECが開発した8086の上位互換高速CPUであるV30を採用している。グラフィック機能が大きく強化され、従来機でのデジタルRGB出力による8色表示から、アナログRGB出力による4096色中16色同時発色表示に改良されている(一部モデルではオプション)。この表現力を生かすため、VRAM各プレーン同時書き込み制御に対応したグラフィック処理プロセッサGRCG(Graphic Charger)が追加された[11]。キーボードにNFER(無変換)キーが追加された。この頃から登場した3.5インチFDD搭載のモデルは、多くのモデルでは家庭用を意識して[12]、5.25インチモデルよりも小型の筐体で、標準でPC-9801-26サウンドボード相当のモノラルFM音源を搭載している。
PC-9801VMは「V30搭載・アナログRGB 2画面・5インチ2HD」で、以降のPC-9800シリーズの標準的な仕様を確立する[18]。当初ソフトウェア側の16色への対応は鈍かったが[16]、後年に発売されたゲームソフトは16色・2画面を前提に開発され、「PC-9801VM以降対応」との表示が多く見られた。3.5インチFDDモデルではFDD以外の仕様がPC-9801VMに準じるPC-9801UVがこの役割を果たし、「PC-9801VM/UV以降」の表示も多く見られた。この世代でFDDまわりの仕様がほぼ確立し、従来の1MB FDDインターフェースをベースにした2HD/2DD自動切替ドライブが以降の機種に標準搭載されるようになる[注 2]。従来機種と比較して、V30の搭載や動作周波数の向上により処理速度が1.6倍に、グラフィックの処理速度は2倍に向上している[18][19]。
80286 / i386の登場により、新開発の高解像度グラフィックに対応し実験機的な性格が強く見られたPC-98XAやPC-98XL2などのPC-98型番の機種での試行的な導入を経て、本流となるPC-9801型番の機種においても成功作となったPC-9801VMを基本としつつ、これらのCPUを採用した後継高性能機種が開発されるようになった。
PC-9801U2やVMに使用されたV30は、8086にはない独自の機能を持っていたが、PC-9800シリーズでは当初からV30独自の機能は利用しない方針としていた[20]。しかし、ゲームなどのごく少数のソフトでV30固有の命令や動作タイミングに依存するものがあり、それらは80286以降のCPUでは正常に動作しない。そのため、PC-9801VXなどの後継機ではしばらくの間、それらのソフトとの互換性を維持するためにV30と80286以降の両方を搭載し、スイッチによる設定で電源投入時に動作するCPUを選択するようになっている[21]。
筐体のデザインやカラーリングはこれまでのものを踏襲している。VM2の後継機もVM21としてVXと同じデザインになっている。
この世代以降、GRCG上位互換のEGC (Enhanced Graphic Charger) と呼ばれる、VRAM各プレーン同時制御を読み出しにも対応させて高速化を実現した新グラフィック処理プロセッサが追加されている[11]。グラフィック用VRAMにはデュアルポートRAMを採用し、CPUからの書き込みとCRTCからの読み込みが同時にできる。GDCのクロックモードは従来の2.5MHzに加えて5MHzが追加された[16]。
1987年(昭和61年)3月13日、セイコーエプソンは最初のPC-9800シリーズ互換パソコン(以下、98互換機)となるPC-286 Model 1から4を発表した。これらはNECから著作権を侵害しているとして訴訟問題になったため4月20日に発売中止が発表され、代わりに別のチームが開発したBIOSを搭載するPC-286 Model 0が4月24日に発表された。このモデルは80286を10MHzで駆動し、当時のPC-9801VXより約20%高速であることをアピールしていた。NECは6月22日にPC-9801VXのマイナーチェンジモデル PC-9801VX01/21/41を発売した[2]。これらはV30に加えて80286のクロック周波数も8MHzと10MHzから選択できる他、内蔵のN88-BASIC(86)がEGCに対応し、80286の10MHzモードではこのBASICを使用するプログラムでグラフィックの描画がより速くなる。他のCPU動作モードは従来機と同等[22]。
この世代から、筐体デザインと本体色が変更され、アイボリーとブラウンの組み合わせから、明るいグレーになっている。東芝J-3100シリーズに対抗すべく開発された3種類のラップトップ用カスタムLSIがこれらのデスクトップモデルにも搭載され、前世代から機能を強化しつつ筐体寸法の小型化が実現している[23][24]。
キーボードにvf・1 - vf・5キーが追加された。新たに開発されたキーボード内部制御用のASICが搭載され[25]、同時に発表されたOS/2のタスク切り替えに対応するため、CapsLockおよびカナロックがソフト的なロックになった。キースイッチによる機械式ロックは廃止され、キーボード上のLEDにロック状態が表示されるようになった[24]。
Rシリーズの後期型から、PC-8001以来続いてきたロゴタイプが変更され、縦長の曲線が弧を描いたものから、曲線角を使った正方形に近いデザインに変更された。RSは後期型からの追加である。
PC-9801RAに実装された80386DXのソケットは、486DLCなどともピンアサインが共通であり、載せ替えることができる。これらのCPUの性能を十分に発揮させるには、動作クロックの変換に加え、OSにキャッシュコントロールプログラムを組み込む必要があったが、CPUアクセラレーターと称し、これを容易にする製品がサードパーティー各社から次々に発売された。本来386DXとはソケット形状が異なるはずの80486や5x86を搭載したCPUアクセラレータも発売されたことから、そうした製品を利用することでさらにCPU性能を高めることもできた。中にはメーカー制限を超えてメモリを追加実装できるCPUアクセラレーター(メルコ社のEUD-HP0Mなど)も存在し、そうした製品とハードディスク、ウィンドウアクセラレーターを組み合わせれば、Windows 95やWindows 98の実行さえ可能となる[要出典]。これにより、PC-9801RAは、普及型PC-9801シリーズの中でも、最も延命しやすい部類の機種となった[要出典]。
1986年に欧米で「King of Laptop」と絶賛されたラップトップ型PC/XT・AT互換機である東芝のT3100は、日本語対応を施された上でJ-3100シリーズとして日本市場へ投入された。この形態は、特に家賃が高く社員一人あたりのスペースが狭い日本のオフィスにおいて、各個人のデスクに設置するには都合が良いと見て販売された[26]。同シリーズの出現は、新規市場の開拓であったが故に直接対抗する手段が存在せず、日本市場におけるパソコンのトップメーカーとしてデスクトップ機を主軸に据えた販売戦略を組み立てていた当時のNECに衝撃を与えた[27]。
NECは急遽J-3100対抗機種の開発に乗り出すが、長い開発期間をかけて実現をみたJ-3100シリーズに対抗するのは容易ではなく、互換性を犠牲にして市場投入時期を優先した機種をまず投入、その後でデスクトップPC-9801との完全互換を実現したマシンを追加投入する、と2段構えの戦略を採った。
最初に市場に投入されたPC-98LTは当時時点の高性能(フルスペック)デスクトップ機互換ラップトップ98を求める市場の声にこたえうる製品ではなく、十分な成功を収めるには至らなかった。
PC-98LT発売時点のPC-9800シリーズのデスクトップモデルでは周辺チップの集積がいまだ進んでおらず、デスクトップ完全互換のラップトップ機を開発するには、まずPC-9800シリーズとしての固有機能を集積したチップセットを開発する必要があった。セイコーエプソンはNECに先行して、1987年(昭和62年)11月にPC-9800シリーズの本流と完全な互換性を持つラップトップパソコンPC-286Lを発表した[2]。NECによるPC-9801型番のデスクトップ完全互換ラップトップ機は1988年(昭和63年)3月発売のPC-9801LV21となった。これはPC-98LTやJ-3100の市場投入から約1年半遅れでの出荷開始となった。しかし、青液晶を採用したPC-9801LV21は視認性が悪く、バックライト付き白黒液晶を採用したPC-286Lに技術面でも後塵を拝することになった。視認性の問題はJ-3100同様の橙色プラズマディスプレイを採用したPC-9801LS(1988年(昭和63年)11月)と、バックライト付き白黒液晶を搭載したPC-9801LV22(1989年(平成元年)1月)で解決された[10]。
既存ソフトウェア資産の継承のために必要であることから、ラップトップ機であるにもかかわらず、FDDが各2基ずつ標準搭載されていたのもこのシリーズの大きな特徴の一つである。
しかし、LXデビューから間もない1989年(平成元年)7月に更なる衝撃を伴って市場に投入された東芝の歴史的傑作、J-3100SS001「ダイナブック」[33]によって、このラップトップ機シリーズは可搬機としての命脈を断たれた。ただし、省スペースデスクトップ機としてのこの種のパソコンの市場ニーズは法人を中心に根強く存在したことから、クラムシェル型(折りたたみ式)ラップトップ機としての性質を残したまま、キーボードの本体からの分離機能や汎用拡張スロットの標準搭載など、省スペースデスクトップ機にシフトした実装を行った機種が翌年になって出荷され、以後これを基本にPC-H98、PC-9821の両シリーズにも省スペースデスクトップに特化した液晶ディスプレイ内蔵モデルが細々と継承されることとなった。
ラップトップ型パソコンは持ち歩いて使うには重さや電源の観点からまだ現実的ではなく、高価でもあったため、主に企業で省スペース型デスクトップの延長として導入された。1989年(平成元年)6月に東芝が発表したJ-3100SS DynaBookは、「ブックコンピュータ」と新しい概念(コンセプト)を低価格と同時にアピールする戦略で市場に衝撃を与えた。NECも前々から同等の概念(コンセプト)を持ったパソコンを開発していたが、これを受けて開発期間を約3か月短縮して発売にこぎ着けた[34]。J-3100が「ダイナブック」の愛称で発売されたのに対して、NECは薄さや軽さを強調する「ノート」という言葉を使った98NOTEを発売した。この名称はセイコーエプソンがDynaBookと同じ月に発表したPC-286NOTE executiveに追従した形となった[35]。
以後ノートパソコンの言葉/ジャンルが確立され、ビジネスユースなどのパーソナルコンピュータの利用範囲を広げる一端を担った[要出典]。
NECはかつて「電電御三家」として日本電信電話公社と密接で、電話モデムを登載したPC-8801mkII TRを発売するなど、パソコン通信やコンピュータネットワークを早くから手掛ける。PC-9800シリーズの基本となる内部構造(アーキテクチャ)から、通信機能を拡張した機種を発売した。
「ファクトリーコンピュータFC-9800シリーズ」は、PC-9800シリーズの筐体内部にある部品を防塵・防振・防爆対応にすることで、使用環境に制約の多い工場でも使用できるように再設計された製品群である。
従来、デスクトップモデルでは3.5インチFDDモデルは小型で拡張性が低くFM音源を搭載したホビー指向、5インチFDDモデルは大型で拡張性の高いビジネス指向という住み分けを行っていたが、DA/DS/DXからは原則的に全ての機種にFM音源を搭載し、ビジネス向け大型筐体機でも5インチFDD搭載モデルの他、3.5インチFDD搭載モデルが用意されるようになった。NECが開発した8086の上位互換を維持するために残されていたV30や、ディップスイッチ、マウスポート割り込み変更ジャンパスイッチも削除され、代わりにVMまたはVF相当の速度で動作するモード[注 3]とソフトウェアディップスイッチ(BIOS設定画面のようなもの)が追加され、内蔵DMA ( Direct Memory Access ) コントローラの性能が引き上げられた。この時期は高級路線にPC-H98 (Hyper98) シリーズ、PC-98DOやPC-98GSといった実験的な機種を展開していた一方、PC-9801シリーズは徐々に機能や性能を向上しながらもコンセプトは従来機を踏襲してきた[34]。そのため、この時期に登場した新しい高速なCPUの大半がH98シリーズに搭載されたのに対し、PC-9801シリーズのほうはRシリーズからFシリーズにかけての数年間、ホビーユース向けのFM音源などで機能的には洗練されていったものの、CPU等の基本性能は旧機種とあまり変わらないという時期が続いた。当時のWindowsはまだホビーユースには敷居が高く、上位機であるH98を使うことが暗黙の了解と見られていたほどである[38]が、そちらは一般ユーザーにとって高価な上位機という先入観を持たれていた背景があり、それを買わせるためにわざと9801型番機のCPU性能を抑えているのではないかという厳しい声も聞かれたという[39]。
1990年代前半、安価なPC/AT互換機での漢字対応(DOS/V)とPC/AT互換機の本格的な日本上陸、Windows 3.0/3.1の登場という大きなムーブメントが起きた。PC-9801FAはコストの問題からCPUに16MHz駆動の486SXを搭載していたが、これに対してユーザーから「640×400ドットの画面はWindowsには狭い。16MHzでは快適に使えない。」との批判が集中した。こうした中、1992年(平成4年)5月にセイコーエプソンが25MHz駆動の486DXとハイレゾ相当の高解像度表示ができるPC-486GRを発売してヒットする。1992年(平成4年)7月、NECの高山由(当時、NEC取締役)は開発部隊を集めた会議で「確かにFAは売れている。しかし98シリーズの先進性はどこへ行った。私は寂しい。」と発言[34]。従来路線を大きく変える方針で新製品の開発が始まり、1993年(平成5年)1月18日にNECはハイエンドのPC-9821シリーズ(公式の愛称は「98MATE」)を投入した。従来のPC-9800シリーズ(PC-9801型番の機種)は一般に「PC-9801シリーズ」として区別されるようになり、MS-DOSベースの市場向け、PC/AT互換機との価格対抗のための廉価版として傍流に位置づけられ、公式には「98FELLOW」という愛称がつけられた。デザインや色もPC-9821に準じた丸みを帯びた形状とアイボリーに変更となっている[37]。
これらの新シリーズは製造コスト削減のために、FM音源や増設用FDD端子の削除、拡張スロット数の削減、専用HDDユニットから汎用IDEへの変更、ファイルスロットから5インチベイへの変更等が行われている。一部のマザーボードはECSなどの台湾企業に生産が委託された[40]。キーボードはそれまでのメカニカルスイッチからメンブレンスイッチの安価な物に変更され、キータッチは反発感があるものになった。これについて月刊アスキー誌は「好みは分かれそうだが、長時間使う場合には底の反動が来る従来のキーボードよりも、ふにゃふにゃした新キーボードの方が指に負担をかけないように思う」と評価した[37]。入力性能に強く影響を及ぼすNキーロールオーバー機能は死守されている[要出典]。
1993年(平成5年)1月に98FELLOWが発売されて間もなく、旧機種となったPC-9801Fシリーズ(FA/FS/FX)は販売価格が急速に下がった。98FELLOWが性能を向上しつつ価格を大幅に下げたため、PC-9801Fシリーズは値引きをしないと売れない状況になっていた。1993年(平成5年)2月時点でPC-9801FA2(希望小売価格458,000円)は秋葉原での実売価格が20万円を下回っていた[41]。
この価格低下と9821シリーズへの移行は、それまでの(高価な)既存機のユーザーに衝撃をもたらした。既存機の性能を少しでも上げようと、80286/i386SXCPUをサイリックスなどのピン配置がi386SXと同等の486互換CPUに交換するためのCPUアクセラレータが流行した。CPUソケットを使用した機種の多いPC-9800シリーズならではの現象だったが[注 7]、これらはネイティブな486機と比較すると、動作が不安定な上に起動時にキャッシュコントロールドライバを組み込む必要があり、十分な実行速度が得られるとは言い難かった[要出典]。
PC-9821へ移行直前に発売されたPC-9801FAは、高価な割に売れており、クロックがi486SX-16MHzと非力な仕様のため、翌年のMATE Aシリーズとの性能差が大きかったことから特に9801FAユーザーがくやしい思いをしたという[42]。FAではFPUソケットにDX4ODPを増設するのは保証外でFDD等に不具合が出る可能性があり、動いたとしても48MHzにしかならない[43]。もっとも旧機種向けにサードパーティ製のCPUボードと各種拡張ボードを併用するなどして、Windows 95/98をインストールした者もいた[要出典]。後年に、CPUバスクロックが16MHzあるいは20MHzの386機とFA、それに初期のFellow用として、専用設計のドーターボード上にクロックダブラー回路を搭載することでボード上のローカルバスクロックを2倍速の33MHzあるいは40MHzとした上で、Cx5x86-100MHzやAm5x86-133MHzといった高速CPUと、16M以上のメモリ空間に配置される大容量メモリモジュール[注 8]を駆動する、ハイパーメモリCPUという製品がメルコから発売されており[44]、これを使用するとCPU周りに関しては最高でPentium 75MHz並みの速度が得られた。
この「98FELLOW」「98MATE」シリーズから、内蔵3.5インチFDDは[注 9]、従来のPC-9800シリーズのフォーマットに加え、PC/AT互換機で使われている1.44MBフォーマットにも対応するようになった。
通常はキーボードを使うが、それを使わずに液晶モニタ上をスタイラスペンを用いて操作する形態の、A4判サイズ小型パソコンも存在した。PC-9801Pの1機種のみ発売された。PC-9821シリーズ世代に発売されたが、マルチメディア志向までカバーするためにカラー液晶モニタを搭載すると、当時の技術では消費電力や筐体の軽量化・小型化など携帯性を犠牲にする必要があったことから[1]、8階調モノクロ液晶を搭載してPC-9801の形式に位置づけられた。
次の図はPC-9801から98FELLOWまでのPC-9801型番およびPC-98型番の機種について系譜を記載している。
「NECパーソナルコンピュータ PC-9800シリーズ」の一つに位置付けられていたものの、「PC-9801」型番ではなく、少数ながら「PC-98yy」(yyはアルファベット)という名称を持つシリーズが存在する。
これらはCADソフト向けの高解像度グラフィック+高速CPU搭載モデルをはじめ、いずれもアーキテクチャについて何らかの改変・拡張機能の付与が行われた実験的なモデルであり[1]、そこで得られた実績は次世代のPC-9801型番各機種に少なからず反映されている。
これらは外見上、通常のPC-9800シリーズとは区別がつけられており、RA/RS/RX世代以降の機種では前面のスリット部分が濃いブルーグレーに塗装されている。
PC-98XAのアーキテクチャを起源とする、ハイレゾ(1120×750 16色、24dotフォント)表示を持つCAD向きの機種。NECは後継のPC-98XLを発売した際、PC-98XAと互換性があるアーキテクチャを「ハイレゾモード」、本流のPC-9800シリーズと互換性があるアーキテクチャを「ノーマルモード」と呼んだ[48]。ハイレゾモードでは、マウスI/Fの割り込み番号やVRAMのアドレスがノーマルモードとは異なるが[11]、アクセス方式は変わり無いため、テキスト版のソフトウェアやワープロ等はかなりの数が移植された[要出典]。
1985年(昭和60年)5月に発売されたPC-98XAはPC-9800シリーズの本流とはソフトウェアの互換性が低かったため成功しなかった。しかし、企業ユーザーを中心にワークステーションとパソコンの間を埋める高級パソコンに一定の需要が存在したため、この路線は継続し、PC-98XL以降はノーマルモードとV30を備えて互換性に配慮している[10]。この系列は32ビット外部バスを搭載したHyper98(PC-H98シリーズ)へと発展し、後の98MATE(PC-9821シリーズ)で互換動作ボードが販売されるまで続いた。
「ハイレゾ」とは高解像度の意味である「ハイ・レゾリューション (High Resolution)」の略称だが、PC-9800シリーズによって広まった呼称であるため、日本では「ハイレゾ(ハイレゾリューション)」のことをPC-98のハイレゾモードとして説明されることがあった[49]。
1986年(昭和61年)10月22日に発表されたPC-98LTはラップトップ型の初代機で[52]、グラフィックVRAMが単色[注 11]1画面分(32KB)に削減された上にテキストVRAMも削除(グラフィックVRAMに描画)されている。互換性の低さと直後にPC-9801互換ラップトップが発売されたため、数百本程度のアプリケーションソフトが販売されたのみにとどまる(当時のデスクトップ98のソフト数は数千本程度)。主に、ラックタワー系機器のコンソールとして活用される事が多かった。後記のFC-98シリーズの小型版としても使用された。
当時の可搬機としては重量と寸法の点で及第点を与えうる内容を備えていたが、その一方でデスクトップ機とのハードウェア互換性が完全でなく、ことにテキストVRAMがなくグラフィックVRAM容量が少ない点がネックとなり、高速描画のためにこれに依存する形でプログラムが書かれていた当時の「一太郎」シリーズが動作しないことは大きな弱点であった。NECはジャストシステムに依頼し、「一太郎 Ver.3」のサブセット版であり、かつ標準搭載の辞書ROMを使用することで、FDD1基搭載のマシンでも運用可能な専用FEPであるATOK6Rを同梱する、ワープロソフトの「サスケ」を本機種の発売に合わせて用意する、という対策を講じていたものの、他のPC-9800シリーズと表示系の互換性が低く、ほとんどの既存のPC-9800シリーズの市販ソフトはPC-98LTで動作しなかったために十分な成功は収められなかった[53]。
このPC-98LTはROMドライブという装置を搭載している。これは、今日のノートパソコンに見られるSSDに似た機能をもった装置で、OSからはディスクドライブとして認識する(見える)。但しROMなので書き込み(内容の変更)は出来ず、容量も数百KB程度である。このドライブに、MS-DOSおよびN88-BASIC(LT)を内蔵している。漢字変換FEPもこのROMドライブに搭載しているため、ストレスの無い漢字変換が行えるようになっている。後のデスクトップ互換ラップトップ機(PC-9801LV等)には、このROMドライブが搭載されていない。
N88-BASIC(LT)は、N88-BASIC(86)MS-DOS版をPC-98LTに移植したOSである。このMS-DOS版N88-BASICがあるため、いわゆるDISK BASICは移植されていない。
起動時のスイッチ切り替えでPC-8800シリーズとの互換性を持たせた複合ハイブリッド機種。PC-8801からの移行ユーザーの取り込みを目指したが、初代のDOは互換性や機能の不足で、後継機のDO+は互換性に問題はないものの[注 12]時期を逸したために、商業的には失敗に終わった[要出典]。キーボードはDOシリーズ専用で、GRPHキーを押した状態で88モードを起動すると、88モードのセットアップ画面を表示する機能(PC-8800シリーズのPCキーに相当)が追加されており、他のPC-9800シリーズのキーボードではこの機能は使えない。PC-8800シリーズとの互換性維持のため、PC-9801Fシリーズ以来のTEAC製FDDを採用している(当時の他の98シリーズは自社製)。
オーサリングを目的とするマルチメディア指向の実験機。Windows 3.0と独自のマルチメディア環境がプリインストールされていた。ハードウェアによる高機能のグラフィックとサウンドを搭載。マルチメディア部分の仕様は後のPC-9821とは異なっているが、一部の機能はMS-DOS用のドライバ・ソフト間で互換性が図られている。PC-9800シリーズのアーキテクチャに追加する形で機能拡張しており、ハード、ソフトとも互換性の問題は特にない。もっとも、丁寧に作り込み過ぎたためか、PC-H98シリーズに匹敵するほど価格が高く設定された結果、ビジネスとしては失敗に終わっており、その反省がPC-9821(初代)誕生の原動力となった[要出典]。
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