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アメリカのバスケットボールヘッドコーチ (1949-) ウィキペディアから
ピーター・ジョン・カーリシモ(Peter John "P. J." Carlesimo, 1949年3月30日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボールの指導者。ペンシルベニア州出身。 アメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAのポートランド・トレイルブレイザーズ、ゴールデンステート・ウォリアーズ、シアトル・スーパーソニックス、オクラホマシティ・サンダーのヘッドコーチを務めた。アシスタントコーチの経験も豊富で、1992年バルセロナオリンピックのドリームチームで、チャック・デイリーヘッドコーチのもと、マイク・シャシェフスキー、レニー・ウィルケンズらとアシスタントコーチを務め、金メダルを獲得している。NBAではサンアントニオ・スパーズで、グレッグ・ポポヴィッチヘッドコーチのもと、2002年から2007年の間に、3度の優勝に貢献した。
2015年のカーリシモ | |
引退 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1949年3月30日(75歳) |
出身地 | ペンシルバニア州スクラントン |
身長(現役時) | 185cm (6 ft 1 in) |
体重(現役時) | 84kg (185 lb) |
キャリア情報 | |
出身 | フォーダム大学 |
指導者経歴 | |
1971-1975 1975-1994 1994-1997 1997-1999 2002-2007 2007-2008 2010-2011 2011-2013 |
フォーダム大学(アシスタント) ニューハンプシャー大学など ポートランド・トレイルブレイザーズ ゴールデンステート・ウォリアーズ サンアントニオ・スパーズ(AC) シアトル・スーパーソニックス トロント・ラプターズ(AC) ブルックリン・ネッツ(AC) |
受賞歴 | |
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フォーダム大学を1971年に卒業の後[1]、コーチングのキャリアをフォーダム大学のアシスタントコーチとしてスタートし、 1971年から 1975年の間務めた後、カレッジバスケットボールのヘッドコーチを数校で務め、1992年バルセロナオリンピックバスケットボール男子アメリカ合衆国代表チーム(ドリームチーム)で、チャック・デイリーヘッドコーチのもとで、マイク・シャシェフスキー、レニー・ウィルケンズらとアシスタントコーチを務め、金メダルを獲得した。1994年にNBAのポートランド・トレイルブレイザーズでヘッドコーチとしての職を得て、3年間務め、1997年にゴールデンステート・ウォリアーズのヘッドコーチを務めた。
その後サンアントニオ・スパーズの第一アシスタントコーチに就任し、グレッグ・ポポビッチの下で、2002年から2007年の間で、3度の優勝に貢献した。その後、2007年シアトル・スーパーソニックス(後にオクラホマシティ・サンダー)のヘッドコーチとして1シーズン指揮を執った[2]。2010年に再びアシスタントコーチに戻り、トロント・ラプターズ、ニュージャージー・ネッツ(後にブルックリン・ネッツ)、で活動している。
NBAヘッドコーチ実績表略号説明 | |||||||||
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レギュラーシーズン | G | 試合数 | W | 勝利数 | L | 敗戦数 | W–L % | レギュラーシーズン勝率 | |
ポストシーズン | PG | 試合数 | PW | 勝利数 | PL | 敗戦数 | PW–L % | プレイオフ勝率 |
チーム | シーズン | G | W | L | W–L% | シーズン結果 | PG | PW | PL | PW–L% | 最終結果 |
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ポートランド・トレイルブレイザーズ | 1994–95 | 82 | 44 | 38 | .537 | 4th in Pacific | 3 | 0 | 3 | .000 | 1st.ラウンド敗退 |
ポートランド・トレイルブレイザーズ | 1995–96 | 82 | 44 | 38 | .537 | 3rd in Pacific | 5 | 2 | 3 | .400 | 1st.ラウンド敗退 |
ポートランド・トレイルブレイザーズ | 1996–97 | 82 | 49 | 33 | .598 | 3rd in Pacific | 4 | 1 | 3 | .250 | 1st.ラウンド敗退 |
ゴールデンステート・ウォリアーズ | 1997–98 | 82 | 19 | 63 | .232 | 6th in Pacific | — | — | — | — | 不出場 |
ゴールデンステート・ウォリアーズ | 1998–99 | 50 | 21 | 29 | .420 | 6th in Pacific | — | — | — | — | 不出場 |
ゴールデンステート・ウォリアーズ | 1999–00 | 27 | 6 | 21 | .222 | (fired) | — | — | — | — | — |
シアトル・スーパーソニックス | 2007–08 | 82 | 20 | 62 | .244 | 5th in Northwest | — | — | — | — | 不出場 |
オクラホマシティ・サンダー | 2008–09 | 13 | 1 | 12 | .077 | (fired) | — | — | — | — | — |
ブルックリン・ネッツ | 2012–13 | 54 | 35 | 19 | .648 | 2nd in Atlantic | 7 | 3 | 4 | .429 | 1st.ラウンド敗退 |
Career | 554 | 239 | 315 | .431 | 19 | 6 | 13 | .316 |
ゴールデンステート・ウォリアーズのヘッドコーチに就任した1年目、チームは開幕から14試合で1勝13敗とどん底にあった。1997年12月1日のチーム練習でラトレル・スプリーウェルに首を絞められるという事件が発生した[3]。スプリーウェルは無期限の出場停止 (1999年に解除され、ニューヨーク・ニックスに移籍) になり、元々暴言癖があったというカーリシモにも悪評が付きまとってしまった。後に両者は和解したものの、2005年夏に、スプリーウェルとアラバマ大学時代のチームメイトにあたるロバート・オーリーが、当時所属していたサンアントニオ・スパーズ入りを勧めたところ、スプリーウェルは、スパーズのコーチ陣にカーリシモがいたことを理由に、スパーズ入りを拒否し、事実上の引退となった。
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