ニュージャパンキックボクシング連盟(ニュージャパンキックボクシングれんめい、New Japan Kick-Boxing Federation)は、日本のキックボクシング団体である。略称は「NJKF」。理事長は坂上顕二(新興ムエタイジム 会長)。
のちに述べるようなK-1選手を多く輩出している。また2009年大手スポンサーを得てWBCムエタイ国内王座決定トーナメントを開催している。
歴史
発足
全日本キックボクシング連盟が分裂して1996年9月結成された。全日本キックボクシング連盟理事長藤田眞と、同連盟所属ジムの過半が離脱し、結成した団体である。
当初よりこの名称・略称であった。「全日本」が新しくなったから「ニュージャパン」である。
全日本キックボクシング連盟理事長だった藤田がNJKFでも発足時より理事長を務め、連盟の実務に関するすべてを行ってきた(後述のとおり2006年引退)。
旗揚げ戦は1996年10月6日に東京ベイNKホールで行われた。
NKBへの加入と離脱
2001年、当NJKF、日本キックボクシング連盟、キック・ユニオン(K-U)、アジア太平洋キックボクシング連盟(APKF)が、緩い形の連合を構成、すなわち、それぞれの団体は維持したまま、王座とランキングを統一し、かつ興行に互いの選手が出場しあい、相互交流をしていくことを決定した。4団体の上部に位置する新組織を日本キックボクシング(NKB)と名づけた。これはサムライTVがバックにあった企画であり、上記4団体のうち盛り上がっていなかった3団体(特に日本キック連盟)をテコ入れするための案であった。NJKFは当時から十分メジャーであり、人気選手も多くいたが、あえてこの企画に参加した。NKBの事務作業はNJKFにより担われた。
2001年12月までに王座決定トーナメントは終了し、以降は常設王座としてタイトル戦が行われた。
しかし2004年12月に、NJKFは離脱を決定した。
2005年1月22日に行われた「INFINITE CHALLENGE I 〜無限の挑戦〜」で、NJKFの理事長だった藤田真は、第6試合終了後にリングに上がり、「方向性の違い」を理由にNKBを離脱したことを発表。その後、信用のある団体なら国の内外を問わず交流したいということや、ファンに対して希望するマッチメイクがあれば声を寄せてほしいことを伝えた[1]。
真王杯
理事長藤田は、日本キック界の大同団結を呼びかけ、NJKF主催で日本キック界のトップクラスを一堂に会しトーナメント戦「真王杯」を開催した。55kg以下と60kg以下のそれぞれの契約体重でそれぞれ8人ずつ出場。NJKF以外の参加団体は全日本キックボクシング連盟、マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟(以下MA日本)、J-NETWORK。ここに、長年関係を絶っていた全日本キックとの交流が再度復活した。
開催は2006年7月22日、9月24日、11月23日の3大会。優勝賞金は200万円。ファイトマネーの40万円(準決勝・決勝は50万円)のほか、勝利者賞も準決勝30万円、1回戦20万円、KO賞も10万円と高額だった。
「真王杯」という名も藤田の名と符合する。おそらく高額賞金も全て藤田が自腹で出したものであろう。藤田はこの大会の成功を見届けて、2006年12月23日、キック界から引退した。藤田は、全日本キックにもNJKFにも莫大な金銭をつぎ込んだ。
スーパーフェザー級の新設
2008年2月にスーパーフェザー級の新設が発表[2]。8月1日付けで発表された公式ランキングに初めてスーパーフェザー級のランキングが掲載された[3]。そして、9月27日「START OF NEW LEGEND XI 〜新しい伝説の始まり〜」で行われたNJKFスーパーフェザー級初代王者決定戦(3分5R)で、赤十字竜(同級2位)が中須賀芳徳(同級1位)を5R判定0-3で下し、初代王者になった[4]。
スーパーウェルター級の新設
2008年7月28日に、NJKFはスーパーウェルター級の新設を発表した。これは、7月以前から「ウェルター級のランカーなど数人の選手が階級を上げることを希望したこと」と「3回戦にも70kg前後の有望選手が多く出てきたこと」から、スーパーウェルター級の新設を検討してきた。そして、過去にタイトルマッチの経験がある古川照明と、NJKFの王者とランカーに勝利している長島☆自演乙☆雄一郎の対戦が決定したことから、この試合を初代スーパーウェルター級王者決定戦とすることに決まった[5][6]。2008年11月9日の「START OF NEW LEGEND XIII 〜新しい伝説の始まり〜」で王者決定戦が行われ、1RKO勝ちで長島が初代王者になった[7]。
BONITA・BOXEO(女子選手部門)の新設
2010年1月24日に行われた、女子フェザー級タイトル戦を機にNJKFは女子部門の新設を発表した。ルールはBクラス2分3R・首相撲からの攻撃は1回(顔面膝攻撃は無し)、Aクラス3分3R・首相撲からの攻撃は1回(両選手合意の元、顔面膝攻撃が有り)となっており、Bクラスは新人戦・Aクラスがランキング戦および、タイトルマッチ用のルールとなっている[8][9]。同年3月には正式名称をBONITA・BOXEO(ボニータ・ボクセオ、スペイン語で女拳闘士といった意味合い)とし、ロゴマークはアパレルメーカーのエフ商会が手掛けた[10]。現在、フェザー級王者はAZUMA。アトム級王者はちはる。
BONITAの王者が次に目指すのは男子選手と同じくWBCムエタイのタイトルである。同11月にはAZUMAがWBCムエタイ・オーストラリア王者と対戦し勝利を収めたが、2011年1月23日・東京・NJKF興行で、日本王座(WBCムエタイ日本女子フェザー級王座)決定戦で大石綾乃に敗退し同タイトル日本王座獲得はならなかった。
WBCムエタイ王座・ランキングの制定
2009年、国内大手企業のスポンサードのもとで、WBCムエタイルールによるムエタイ日本国内王座決定トーナメント・国内ランキング戦が行われることとなった。
ジャパン・プロフェッショナル・ムエタイ・コミッティ(JPMC)統括。参加団体はNJKFとマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟。
WBCムエタイルール日本統一王座決定トーナメントは、2009年7月26日のNJKF興行からスタートし、半年間で全階級の初代日本王者が決定された。フライ級からウェルター級の8階級で実施し、それぞれの階級に4人の選手が出場した[11][12]。
ランキング戦は、2009年1月25日に主催する興行「ROAD TO REAL KING I」の中の「宮越宗一郎 対 一貴」、「一輝 対 渡辺大介」の2試合をWBCムエタイルール統一ランキング戦とし、それを皮切りに順次ランキング戦が開催されている[13]。
階級
9階級
主要選手
かつての所属選手
脚注
関連項目
外部リンク
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