Loading AI tools
アメリカ合衆国のロックバンド ウィキペディアから
MR. BIG(ミスター・ビッグ)は、アメリカ合衆国出身のハードロック・バンド。1989年にデビュー。1999年にメンバーチェンジし、2002年に一度解散したが、デビュー20周年にあたる2009年に13年ぶりとなるオリジナル・メンバーの4人で再結成。2018年にドラマーのパット・トーピーが死去したことを受け、2024年までのThe BIG Finishツアーが最後のツアーになることを公表していた[3]が、2025年2月に日本でラストライブが開催されることが発表されている[4]。
この記事はその主題が日本に置かれた記述になっており、世界的観点から説明されていない可能性があります。 (2023年3月) |
MR. BIG | |
---|---|
ブルガリア・ソフィア公演(2011年6月) | |
基本情報 | |
出身地 | アメリカ合衆国 |
ジャンル | |
活動期間 |
|
レーベル | |
共同作業者 | |
公式サイト | MR. BIG // OFFICIAL SITE |
メンバー |
|
旧メンバー |
|
MR. BIGというバンド名はパット・トーピーが考えたものであり、フリーのアルバム『ファイアー・アンド・ウォーター』収録の楽曲「Mr. Big」からきている。当初はジミ・ヘンドリックスの楽曲「Red House」をバンド名とする案もあった。しかし、当時既に存在していたクラウデッド・ハウスというバンド名と似てしまうので、バンドの目指していた方向性に最も近いフリーのレパートリーからバンド名を拝借した[5]。なお、1970年代にイギリスで活動していた同名のバンドが存在するが、メンバーは認知していなかった[6]。
他のバンド名の候補としては、(MARTINのMAとシーンを組み合わせた)「MACHINE」、「WILD BLUE YONDER」、「MARS NEEDS WOMEN」等もあった。[7]。
1988年公開の映画『CADDYSHACK II』のサントラに収録されている「One Way Out」は、当時はまだバンド名がなかったため「エリック・マーティン」名義となっているが、実際にはMr. Bigのメンバーでの演奏である[8]。
年 | ベース | ボーカル | ギター | ドラムス | ドラムス(サポート) |
---|---|---|---|---|---|
1988 - 1999 | ビリー・シーン | エリック・マーティン | ポール・ギルバート | パット・トーピー | |
1999 - 2002 | リッチー・コッツェン | ||||
2002 - 2009 | 解散中 | ||||
2009 - 2014 | ビリー・シーン | エリック・マーティン | ポール・ギルバート | パット・トーピー | |
2014 - 2018 | マット・スター | ||||
2018 - 2023 | |||||
2023 - | ニック・ディヴァージリオ |
年 | 演奏曲 | ビリー・シーン | エリック・マーティン | ポール・ギルバート | パット・トーピー |
---|---|---|---|---|---|
1993 | Johnny B. Goode (チャック・ベリー)[要出典] |
ドラムス | ギター | ボーカル | ベース |
1994 | Ain't That A Shame (ファッツ・ドミノ)[要出典] |
ギター | ベース | ドラムス | ボーカル |
1996 | Suffragette City (デヴィッド・ボウイ)[要出典] |
ボーカル | ギター | ドラムス | ベース |
2009 | Smoke On The Water (ディープ・パープル) |
ボーカル→ギター | ギター→ベース | ドラムス | ベース→ボーカル |
2011 | Brown Sugar (ローリング・ストーンズ)[要出典] |
ギター→ボーカル&サックス | ドラム | ボーカル→ベース | ベース→ギター |
2014 | Living After Midnight (ジューダス・プリースト)[要出典] |
ギター | ベース | ドラム | ボーカル |
2017 | We're An American Band (グランド・ファンク・レイルロード) |
ギター | ベース | ドラム | ボーカル |
2023 | Good Lovin' (ラスカルズ) |
ボーカル | ベース | ドラム | - |
※2009年、2011年は演奏途中で更に担当パートをスイッチ。
※2014年、2017年はマット・スターがギターで 参加。
※2023年はニック・ディヴァージリオがギターで参加。
1988年、タラスやデイヴィッド・リー・ロス・バンドに在籍していたビリー・シーンが中心となり、ソロ・シンガーとして活動をしていたエリック・マーティン、レーサーXのギタリストとして活動していたポール・ギルバート、さらにテッド・ニュージェントやインペリテリ等でドラマーとして活動していたパット・トーピーの4人で結成。 翌年6月にアトランティック・レコードよりアルバム『MR. BIG』でデビュー[注釈 1]。
1991年に2作目のアルバム『リーン・イントゥ・イット』をリリース。先端にギターピックを取り付けた電動ドリルを使用した「ダディ、ブラザー、ラヴァー、リトルボーイ」や、その後のライブにおける定番曲となる「アライヴ・アンド・キッキン」、「ジャスト・テイク・マイ・ハート」をはじめとしたバラード、「60'S マインド」、そして全米No.1シングルとなる「トゥ・ビー・ウィズ・ユー」などが収録された。しかし、「60'S マインド」と「トゥ・ビー・ウィズ・ユー」の2曲は、同じアルバムに収録するか否かについてメンバー間で問題となった曲でもある[16][17]。
1993年、3作目のアルバム『バンプ・アヘッド』をリリース。「トゥ・ビー・ウィズ・ユー」の大ヒットによるレコード会社からの大きな期待、言い換えれば圧力を受けながら、このアルバムを制作することとなった。さらに会社側からの「『トゥ・ビー・ウィズ・ユー』のような曲がもう一つほしい」との要望によって大量のバラード曲のデモ制作を余儀なくされ、結果、キャット・スティーヴンスの「ワイルド・ワールド」のカバーを追加収録[18]し、シングル・カットもされたが、商業的に成功したとはとても言えない結果となった。また、ギター・シンセサイザーの導入により、ピアノ、オルガン、ストリングスなどの音色を使用したサウンドが特徴となっている[19]。本作には、バンド名の由来となったフリーの「ミスター・ビッグ」のカバーを収録。
1996年1月に、4作目のアルバム『ヘイ・マン』をリリース。日本では本作より「テイク・カヴァー 」がシングル・カットされた。なお、同じくシングル・カットされた「風にまかせて」のレコーディングはビリー抜きで行われ、その後のメンバーの人間関係に悪影響を及ぼす結果を招いた[20]。
同年11月には、初のベスト・アルバム『BIG, BIGGER, BIGGEST!』をリリース。新曲の「Unnatural」ではポール・ギルバートがリードボーカルを披露した。その後、『ミュージックステーション』への出演を最後に活動休止を宣言。メンバーはそれぞれ、ソロ活動、別のプロジェクトに乗り出す。1997年に、日本武道館でのライブを収録した『LIVE AT BUDOKAN』をリリース。
1999年、活動を再開しようとした矢先、ポールが脱退。その後バンドは、かねてから親交のあったギタリスト、リッチー・コッツェンを新ギタリストとして迎え、スタジオ・アルバムとしては通算5枚目となる『ゲット・オーヴァー・イット』をリリースする。新生Mr. Bigによる第1弾のアルバムは、新加入のリッチーの個性を前面に押し出した内容で、ポール時代のポップ性は影を潜め、よりブルージーな楽曲が中心となった。また、ソロシンガーとしてのキャリアを持つリッチーが、エリックとリードヴォーカルを分け合う「スタティック」で、バンドは新たなラインナップによる進化の可能性を主張している[21]。この年の年末、久々の来日公演を行い、大晦日にはエアロスミス、バックチェリーと共に、ミレニアム・カウントダウン・コンサート(大阪ドーム)に参加。この時の模様は、WOWOWで生中継された。
2000年、新曲2曲を含むバラード・ベスト・アルバム『Deep Cuts』をリリース。ポール在籍時代の曲の一部は、新ラインナップによってリメイクされている。このリメイク曲のうち1曲でフレットレス・ベースのイントロがビリーに許可なく削除されたほか、前述の「Goin' Where The Wind Blows」が収録されたことから、ビリーと他のメンバーとの人間関係が再び悪化した[22]。
2001年8月に、6作目のアルバム『アクチュアル・サイズ』をリリース。しかしリリース直前に、バンド側が「ビリーを解雇した」と公式発表する[23]。しかし、協議の末、最後にビリーを含むメンバー4人でフェアウェルツアーを行い、その後解散するという結論に至る[24]。本ツアー名はパットから「Farewell "For Now"」("ひとまず" フェアウェル)と呼べないものかとプロモーターへ意見したが却下されている。千秋楽となった2002年2月5日の東京国際フォーラムホールAでのライブは収録され、CD(『In Japan』)とDVD(『Farewell Live In Japan』)でリリースされた。
2008年5月7日、ロサンゼルスのハウス・オブ・ブルースで行われた、ポールのソロライブにて、「Mr. Bigのほぼ再結成」が実現。サプライズ・ゲストとしてビリー・シーン、パット・トーピー、リッチー・コッツェンがステージに登場し、2曲を披露。リッチーが、ボーカルで「30 Days In The Hole」、ポールとマイク・ズーターのダブル・ボーカルで、「Daddy, Brother, Lover, Little Boy」を演奏した。
2009年1月31日・2月1日放送のラジオ番組『HMシンジケート』で、オリジナル・メンバー4人による再結成が発表された。同年4月、未発表曲のリマスター・バージョンを含むベスト・アルバム『Next Time Around - Best Of Mr. Big』がリリースされ[25]、5月にはボーナストラックを追加した最新リマスタリングによる1st〜4thアルバムを再発。6月には「Next Time Around 2009 Tour」を日本で決行、10公演全てがソールド・アウトとなる。その後、アジア・ツアーとヨーロッパ・ツアーも実現。9月16日、「Next Time Around 2009 Tour」の武道館公演の模様を完全収録した『BACK TO BUDOKAN』がCD及びDVDとしてリリースされた(2011年にはBlu-rayもリリース)。
2010年12月、9年4ヶ月ぶり、オリジナル・メンバーでは約15年ぶりとなるスタジオ・アルバム『ホワット・イフ…』がリリースされた[26]。
2011年4月、東日本大震災直後のライブや演劇の公演中止が続出する状況の中、「友達には会いに行きたいだろ? 大変な時にはなおさら会って励ましたい」「20年以上受けてきたサポートに、僕らがどれほど感謝しているを形にするチャンスが与えられたのは幸運だと思う」と来日公演を決行。急遽レコーディングされコンサート会場限定で販売された被災地救援シングル「The World Is On The Way」は日本の皆の胸を打つ感動の1曲となり、その収益と来場したファンが各会場に設置された募金箱に寄せた義援金を合わせ、バンドから日本赤十字社に贈られた額は900万円を超えた[27]。
2014年7月23日、パットが2年前よりパーキンソン病を患っている事を公式に告白。新作「…ザ・ストーリーズ・ウイ・クッド・テル」のツアーも通常の演奏が出来ず、一部サポートメンバーを迎えて行う事を明らかにした[28]。代役としてエース・フレイリーなどの活動経験のあるマット・スターが25周年のツアーに参加。パットも同行し、日本武道館を含む来日公演を開催[29]。
2016年10月1日、Monsters of Rock CruiseにMR. BIGが参加。Wild Worldの演奏中に突然リッチー・コッツェンが飛び入りし、歴代メンバー5人全員がステージに揃うというハプニングが発生。第2期MR. BIG(ビリー、エリック、パット、リッチー)4人の共演は14年ぶりとなった[30]。
2017年3月、バーバンクのオーシャン・スタジオにて9枚目のスタジオ作品『Defying Gravity』のレコーディングを行う。結成初期の作品に携わっていたプロデューサー、ケヴィン・エルソンを迎えて制作された。なお、ドラムは2014年のツアードラマーを務めたマット・スターが担当。パット・トーピーはバックボーカル、パーカッションの他に一部の楽曲でドラムの演奏もしている。
2017年9月、来日公演を開催。本ツアーにもパットが同行し、パーカッションを担当(1曲のみドラムキットを演奏)で参加した[31]。
同年11月23日、イングランドのウルヴァーハンプトンで開催されたライブを開催。この日がMr. Bigのオリジナルメンバーが揃った最後のライブとなる。
2018年2月7日、パット・トーピーがパーキンソン病の合併症により逝去[32]。5月23日カリフォルニア州アグーラ・ヒルズのCannyon Clubにて「Mr. Big & Friends Celebrate The Life Of Pat Torpey」と題したパット・トーピーのトリビュート・ライヴが開催された。この公演では生前パットがMr. Big再結成後に日本で使用していたTAMAの白いドラムキットが用意され、ビリー、エリック、ポール、マットの4名の演奏に加え、ビリーとエリック、リッチー3人の共演による第2期Mr. Bigのナンバー「Shine」、「Dancin' With My Devils」、「Superfantastic」の3曲が披露された(なお、この時ドラマーを務めたのはリッチー・コッツェン・バンドのマイク・ベネット)。その他、チャック・ライト、ギルビー・クラーク、マット・ソーラム、デイヴ・アマト、リッキー・フィリップス、ブレット・タグル、グレッグ・ビソネットらパットと所縁のあるミュージシャンが参加した[33]。
2021年3月、3.11震災後のMR.BIGを追ったドキュメンタリー『MR.BIG〜3・11 から10 年 被災地とともに歩んだ外国人バンド』がTBS ドキュメンタリー映画祭にて上映された。[34]。
2021年7月、『Lean Into It』発売30周年を記念した30thアニヴァーサリー・エディション(2 MQA-CD、SACD)及び7インチボックスセット『Lean Into It – The Singles』がリリースされた[35]。
2023年3月、日本公演の日程とともにサポートドラマーとしてニック・ディヴァージリオが参加することが発表された[36]。
2023年4月、デビュー・アルバム『MR. BIG』が、四半世紀以上の時を超えて新たに発見された未発表音源「Want To Be Wanted 」を収録し、再リマスタリングされリリースされた[37]。
2023年7月20日より31日にかけ、MR. BIGのフェアウェル・ツアー<The BIG Finish Tour>の日本公演に合わせて、故パット・トーピー(Dr)の家族とバンド・メンバーが企画したチャリティ・オークションが「モバオク」で開催[38][39]。パット・トーピーが日本公演で使用したドラム・セットが150万円で出品され、最終的に3,501,000円で落札されている[40]。
2023年7月26日の日本公演最終日となる日本武道館公演はWOWOWで生中継され[41]、ライブ終盤では現ラインナップの家族の他にパット・トーピーの妻カレンと息子パトリックもステージに登場し、ビリー・シーンのスピーチにより日本のファンに感謝の言葉が伝えられた[42]。
2024年3月22日のウルヴァーハンプトン公演及び23日のロンドン公演にて、ミケーレ・ルッピ(ホワイトスネイク、 SECRET SPHERE)をバック・シンガーに迎えてショウを行なった[43]。
年 | タイトル | 最高位 | 認定 | ||
---|---|---|---|---|---|
米・ビルボード[44] | 日本・オリコン[45] | 英・UK Albums[46][47] | |||
1989 | MR. BIG (Mr. Big) |
46 | 22 | 60 | Gold (JP) |
1991 | リーン・イントゥ・イット (Lean Into It) |
15 | 6 | 28 | Platinum (US, JP) |
1993 | バンプ・アヘッド (Bump Ahead) |
82 | 4 | 61 | Platinum (JP) |
1996 | ヘイ・マン (Hey Man) |
- | 1 | - | Platinum (JP) |
1999 | ゲット・オーヴァー・イット (Get Over It) |
- | 5 | - | Gold (JP) |
2001 | アクチュアル・サイズ (Actual Size) |
- | 5 | - | Gold (JP) |
2010 | ホワット・イフ… (What If...) |
- | 7 | 117 | - |
2014 | …ザ・ストーリーズ・ウイ・クッド・テル (...The Stories We Could Tell) |
158 | 6 | - | |
2017 | ディファイング・グラヴィティ (Defying Gravity) |
- | 9 | - | |
2024 | テン (Ten) |
||||
※表記は、「都市名・会場(当時の正式名称)」とする
※デビューから5年後の1994年に日本武道館公演を実現
再結成後初のライヴの地として日本が選ばれた。
大阪公演は日本公演通算100回目。盛岡公演は、海外アーティストとしては震災後初の東北地方でのコンサート。
パット・トーピーが参加した最後の来日ツアー。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.