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ウィキペディアから
ゴーカー・メディア(英:Gawker Media)とは、アメリカ合衆国ニューヨーク市のオンラインメディア企業(ブログパブリッシャー)である。ギズモードやライフハッカーなど有力なメディアを抱えて、ブログネットワークを形成している。
ゴーカー・メディアは、ブログを使ったメディアの最大手企業である[1]。2010年に発売前の新型iPhone流出事件で、世界的に知られるようになり[2]、日本でも代表的なブログ・メディアとして紹介される事が多い[3]。gawkとはボケーと見るという意味の英語で、ゴシップを紹介するGawker.com、仕事術を紹介するLifehacker、ガジェットを紹介するギズモードなど多数のブログを所有している。日本語版のライフハッカーやギズモードやKotakuもライセンスしており、Yahoo!ニュースなどにも配信している[4]。
報道内容はブログごとに異なるが、例えばゴーカー・ドットコムは日本の毎日デイリーニューズWaiWai問題[5]や東原亜希に対するジョーク[6][7]を紹介する事もある。quantcastのデータによると、利用者は648万人/月~1151万人/月、ページビューは5634万/月~1億815万/月(2012年全世界)で、アメリカ合衆国が大半を占め(7~8割)、その他にカナダやイギリス、オーストラリア、インドからのアクセスが多い[8]。
ゴーカー・メディアはプロのブロガーを雇ってブログを使ったメディアを沢山作る一方で、ブログシステムや広告・渉外は一本化して利益を得る[10]というビジネスモデルを発明・実践した企業の1つとして知られている。これを行う企業はブログパブリッシャー(ブログ出版社)と呼ばれることもある[1]。低コストな経営で、1つのブログの担当記者は初期には1~2人、現在でも5~10人で[11]、名前の売れた記者でも年収3万ドルだとすっぱ抜かれたことがある[12]。その後5万ドル以上になったというが[13]、記者はどんどん転職し企業も引き止めない[14]。不況になれば売上の低いブログは売却し、スタッフはリストラしてしまう。一方、読者はブランド・ロイヤルティが高いので、好不況に関係なく読者を続けてくれると言う[15]。技術的なコダワリが強く、同業他社のようにWordPressやTypePadを使わずに、独自プラットフォームを採用している[16]。アダルトサイトのフレッシュボットのように、ゴーカーメディアの独自プラットフォームに向いていない場合はシステムを改変するのではなく、ブログの売却を選択する[17]。また記事のライセンスにはクリエイティブ・コモンズ(非営利)を採用し[18]、引用・転載の自由度が高いことも特徴の1つである。
ゴーカー・メディアはアメリカ合衆国のメディアだが、イギリスやオーストラリアなど世界各国にローカル版を作っている。運営は現地のパートナー会社に任せていることが多く、例えば日本版は株式会社インフォバーンの子会社のメディアジーン[19]、ブラジル版はF451社、インド版は大手新聞のザ・タイムズ・オブ・インディア社が運営していると言う[20]。コンテンツにはアメリカ版の翻訳記事の他に、運営会社が作成した記事もある。直営方式で運営している場合もあり、ハンガリー版ではオーナーのフィナンシャル・タイムズ時代の同僚のラズロ・シリ(Laszlo Szily)が協力している。またスペイン版はGuanabee社を買収して、ニューヨークとスペインでコンテンツを作成して配信している[20]。
ゴーカー・メディアのオーナーは、ニック・デントンである。1966年にイギリスで生まれ、フィナンシャル・タイムズの記者から起業家に転進した。友人たちと何社か起業した後、2002年にギズモードを実験的に始めた。初代の執筆者はピーター・ロハスで、彼がEngadgetに転職するまで続いた。デントンはウェブログは運営費がかからず低リスクだが、それほど儲かる事業ではなく地道にやるしかないと発言していたが[14]、広告収入は年々増大し[22]、ビジネスは順調だった。2008年の不況により打撃を被ったものの、2009年の広告収入はグループ全体で6000万ドルとなり、営業利益は50%を維持していると言う[11]。
ゴーカー・ドットコムの初代の編集者(2003年8月)はエリザベス・スピアーズ(Elizabeth Spiers)だったが、すぐにクワイアー・シチャ(Choire Sicha)に代わった。2004年8月に、シチャは編集ディレクターに昇進し、代わりにジェシカ・コーエン(Jessica Coen)が雇われた。またもうひとり共編者を置くことにして、ご近所の様々なブログからゲスト編集者が招かれた。マット・ハーバー(Matt Haber)は数ヶ月で交代し、ジェシー・オックスフェルド(Jesse Oxfeld)は2006年7月で契約終了、次にアレックス・ボーク(Alex Balk)が続いた。また編集長の地位が作られて、クリス・モーネ(Chris Mohney)が就任した。2006年9月、コーエンがヴァニティ・フェアのオンライン編集者代理に転職すると発表した。前年ニューヨーク・マガジンはコーエンの給料が3万ドルであると報じていた[12]。新たに共編者のエミリー・グルード(Emily Gould)が雇われた。2007年2月、シチャはニューヨーク・オブザーバー紙から戻って、モーネの後をついで編集長になった。2007年9月21日、ボークがレーダーマガジンに転職し、ワンケット・アレックス・パリーネ(Wonkette's Alex Pareene)が後を継いだ。この頃、副編集者のマギー・シュナイアソン(Maggie Shnayerson)がドール・ラファエル(Doree Shafrir)の後任としてサイトに執筆し始めた。
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