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GAZ-67(ロシア語: ГАЗ-67)は、1943年にソビエト連邦のゴーリキー自動車工場(現GAZ)で開発された4×4輪駆動の小型軍用車両である。
GAZ-67は、同時期にアメリカで開発されていたジープ(バンタムBRC-40)を参考に開発され、1941年-1942年にかけて646両が生産されたGAZ-64の改良型に相当する車種で、1943年9月に生産がスタートした。GAZ-64からの変更点としては、エンジン出力が50hpから54hpに強化されたこと、前後輪のホイールベースが若干広くなっていることなどが挙げられる[2][3]。開発にあたっては、エンジンやギアボックスをGAZ-MMから、ラジエーターをGAZ-AAAから流用するなどして開発期間短縮・部品共通化が図られている[4]。GAZ-67は1943年中に718両[4]、1944年に2,419両の計3,137両が生産された。1944年1月からは改良型のGAZ-67Bの生産が開始された。なお、エンジン出力の50hpから54hpへの強化や、ホイールベースの拡大を、GAZ-64から67への変更時ではなく、GAZ-67から67Bへの改良に伴うものであると記述する資料[1][5]も見られる。
GAZ-67と67Bの外見上の相違点として、フロントのラジエーターグリルガード部の構造が変わっていることが挙げられる。具体的には、初期のタイプのラジエーターグリルガード部分が10本の金属棒を並べて溶接した構造であるのに対し、後期タイプではアメリカ製ジープのような、1枚の金属板をプレスして7個の長穴を打ち抜いた構造になっている。なお、ラジエーターグリルの構造変更はGAZ-67から67Bへの改良に伴うものであるとする資料[4]と、大戦中の生産型と戦後型の違いであるとする資料[5][6]が存在し、明確ではない。
GAZ-67Bはヨーロッパにおいて戦闘の終結した1945年5月9日時点までに1,714両が生産され、67と合わせた総生産数は計4,851両[4]となった。当時のソ連では工業生産のリソースの多くを戦車等戦闘車輌の生産に振り当てていたこともあって、大戦中の生産数は5,000両未満[4][2]と決して多くなく、これに対しレンドリースで供与されたアメリカ製ジープの供給数量は50,000両以上であり、機械的信頼性の高さもあって、大半の部隊がこれを使用した[4]。
GAZ-67Bの生産は大戦終了後も継続し、生産数としては、むしろ大戦後の方がずっと多く、1953年までに計92,843両[1]が生産された。なお、大戦直後の1946年に後継車種のGAZ-69の開発がスタートし、1953年から量産が開始されたことにより、GAZ-67Bの生産は終了している。
GAZ-67/67Bは開発国ソ連の他、中国・北朝鮮・ポーランド[2]などに輸出されて運用されている。
また、GAZ-67のシャーシに装甲車体を載せた小型装輪装甲車としてBA-64Bが生産されている。なお、BA-64の初期タイプにはGAZ-64のシャーシが使用されている。
模型メーカーの田宮模型から1973年に1/35スケールで発売されたGAZ-67Bのキットは、当時、鉄のカーテンの向こうより得られる資料の少なさからか、戦中型モデルであるとして後期タイプ(戦後型)のプレス型ラジエーターグリルを誤って再現してしまっている。一方、ソビエト連邦の崩壊後の2007年に同社から1/48スケールで発売されたGAZ-67Bのキットは、元共産圏から得られる資料も豊富となり、ラジエーターグリルが棒溶接タイプの初期型(戦中型)を正確に再現している。
2013年に中国の模型ブランド"トランペッター"から発売されたGAZ-67Bのキットは、パッケージに描かれたイラストは初期型溶接グリルであるが、中身のパーツは後期型プレスグリルとなっている[5]。
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