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DNAナノテクノロジー(英: DNA nanotechnology)とは、有用な核酸構造を人工的に設計・作製する技術をいう。DNAの名が冠されているが、他の種類の核酸も用いられるため「核酸ナノテクノロジー」という別名がある。この分野では核酸を生細胞の遺伝情報キャリアとしてではなく、非生物学的なナノ材料として用いる。これまでの研究で、DNAを用いた2次元・3次元の結晶格子やナノチューブ、多面体、さらに任意形状の静的構造が作製されており、分子機械やDNAコンピューターのような機能デバイスも得られている。X線構造解析や核磁気共鳴スペクトロスコピーによるタンパク質の構造同定など、構造生物学や生物物理学における基礎的な問題を解決するツールとしても用いられ始めた。将来的な分子スケールエレクトロニクスやナノ医療への応用も研究されている。
DNAナノテクノロジーの概念的基盤は1980年代初頭にネイドリアン・シーマンによって築かれた。広く関心を集め始めたのは2000年代半ば以降である。核酸を用いる利点は、核酸鎖のうち互いに相補的な塩基配列を持つ部分だけが結合して強固な二重らせん構造を形成するという厳しい塩基対合則の存在である。この規則を利用して合理的な塩基配列デザインを行えば、ナノスケールの精密なパーツが自然に組みあがって複雑な標的構造を形成することが可能になる。構造のアセンブル方式としては、より小さな構造(DNAタイル)をアセンブルさせるタイルベース構造や、核酸の折りたたみによって望みの形状を得るDNAオリガミ法、鎖置換法によって動的な再配置を行う方式などがある。
ナノテクノロジーは多くの場合、100ナノメートルスケールより小さい構造を持つ材料や素子を研究する分野と定義される。その中でもDNAナノテクノロジーは、分子部品が自発的に組織化して安定構造を作るボトムアップ型自己集合プロセスの一例である。この種の構造では、設計者が選んだ部品の物理的・化学的特性が元になって特定の形状が発現する[2]。DNAナノテクノロジーで部品となるのはDNAなどの核酸鎖である。核酸鎖は多くの場合人工的に合成され、ほとんどのケースで生細胞内の役割とは関係のないところで使用される。DNAがナノスケール構造の作製に適している理由は、核酸鎖間の結合が既知の単純な塩基対合則に従っており、それによって特有の二重らせん型ナノ構造を形成する点である。この性質を利用すれば、核酸鎖の設計を通じて構造のアセンブリを制御することが容易になる。他のナノテクノロジー材料はこのような特性を持たない。たとえばタンパク質は構成要素であるアミノ酸の種類が多く設計が非常に困難であり[3]、ナノ粒子は自ら特定のアセンブリを行う能力がない[4]。
核酸分子はヌクレオチドの配列からなり、ヌクレオチドはそれに含まれる核酸塩基によって区別される。DNAのヌクレオチドにはアデニン (A)、シトシン (C)、グアニン (G)、チミン (T) の四種の塩基が含まれる。核酸分子どうしが結合して二重らせんを構成するのは、それらの塩基配列が相補的である場合のみである。すなわち、出来上がった二重らせんはA-TおよびC-Gという二種類の塩基対の配列にならなければならない[4][5]。塩基が正しく対合するとエネルギー的に有利であるため、ほとんどのケースでは核酸鎖どうしが正しい塩基対の数が最大になるような立体配座で結合すると予想される。このように核酸鎖系で結合パターンと全体構造を決定するのは塩基配列であり、それを利用すれば容易に制御が行える。DNAナノテクノロジーの研究者は、塩基対形成作用によって望ましい立体配座がアセンブルされるように、核酸鎖の塩基配列を合理的に設計する[4][6]。用いられる分子はDNAが主流だが、RNAやペプチド核酸 (PNA) など他の核酸分子を組み込んだ構造も作製されている[7][8]。
構造DNAナノテクノロジーと動的DNAナノテクノロジーという二つの下位分野に分けられる場合がある(これらには重複する部分もある)。構造DNAナノテクノロジーの対象は、静的な平衡形へアセンブリを行う核酸複合体の合成や分析である。動的DNAナノテクノロジーが対象とするのは、化学的・物理的刺激に応じて再配列を行う機能など、有用な非平衡的挙動を持つ複合体である。核酸ナノメカニカル素子のようにこれら二分野の特色を併せ持つ複合体もある[10][11]。
構造DNAナノテクノロジーで構築される複合体はトポロジカルに分岐した核酸構造を取っており、複数のジャンクション部を持つ(生物学的なDNAはそれと対照的に分岐を持たない二重らせん構造を取るのがほとんどである)。最も単純な分岐構造には、相補的パターンを持つ部分どうしで結合したDNA鎖4本からなる4アーム・ジャンクションがある(右図上)。似た形態を持つ天然のホリデイ・ジャンクションとは異なり、人工的な固定4アーム・ジャンクションはそれぞれのアームが異なる塩基配列を持っており、ジャンクション位置は特定の場所からずれることができない。一つの複合体が複数のジャンクションを持つこともある。例えば広く用いられているダブルクロスオーバー (DX) モチーフでは(右図下)、二つの平行な二重らせんドメインが二つのジャンクションで結合しており、それらのジャンクションは核酸鎖が交差するクロスオーバー点となっている。DXモチーフのクロスオーバー点はトポロジー的に4アーム・ジャンクションと同一だが、独立した4アーム・ジャンクションが柔軟性を持つのとは異なり、4本のアームが一つの軸に揃えられていて自由に動かすことができない。これにより、DXモチーフは堅固なブロックとして大きなDNA複合体を組み上げられるようになる[6][4]。
動的DNAナノテクノロジーでは、トーホールド配列を介した鎖置換と呼ばれるメカニズムを利用して、新しい核酸鎖を追加することで核酸複合体に再配列を行わせる。この反応では、新たな核酸鎖は二本鎖複合体の端に設けられた一本鎖領域(「トーホールド(足がかり)」と呼ばれる)と結合し、さらに分岐移動プロセスによって元の複合体に含まれる鎖の1つと入れ替わる。これで全体としては、元の複合体の核酸鎖の1つが新たに加えた鎖と置換されたことになる[10]。再配列を行える構造や素子を作る別の方法としては、化学反応を引き起こすデオキシリボザイムやリボザイム、あるいは特定のタンパク質や低分子と選択的に結合できるアプタマーのような機能性核酸を用いるものがある[12]。
構造DNAナノテクノロジーでは、静的な平衡形を作るための部品となる核酸複合体などの物質の合成と分析が中心となる。核酸の二重らせん構造は確定したロバストな3次元形状を持つため、より複雑な核酸複合体の構造を予測したり設計したりすることが可能になる。実際に、2次元や3次元の構造、もしくは周期的、非周期的、離散的な構造など、多くの複合体構造が作製されている[11]。
小さい核酸複合体に粘着末端を持たせて互いに結合させると、分子をタイルとした充填パターンを持つ大きな2次元周期格子が得られる[11]。この種の構造で最初のものは基本タイルとしてDX複合体を使用していた。DX複合体が持つ四つの粘着末端の塩基配列をデザインすることで、複合体がユニットとなって周期的に配列し、剛性を持つ2次元DNA結晶とみなせる平坦な2次元シートを構成する仕組みだった(右図上)[16][17]。ほかのモチーフを用いた2次元配列も作製されており、ホリデイ・ジャンクション菱形格子や[18]、double-cohesionスキームによる様々なDXベースアレイなどがある[19][20]。右に示す画像の上から2つはタイルベース周期格子の例を示している。
2次元アレイには、そのアセンブリがある種のアルゴリズムを内包するような非周期構造を取らせることも可能である。これはDNAコンピューティングの1つの形である[21]。粘着末端の塩基配列の選び方によっては、DX複合体はワンのタイルとなって演算処理を行えるようになる。実際に、DXアレイのアセンブリにXOR演算をエンコードすることでDNAアレイをセル・オートマトンとし、シェルピンスキーのギャスケットと呼ばれるフラクタル構造を生成させた例がある(右図上から3番目)[15]。ほかにも、DNAアレイの構造を2進数と対応させ、アレイの成長とともに数が増加していくバイナリカウンタシステムを作った例がある。これらの結果はDNAアレイのアセンブリに計算処理が組み込めることを実証している[22]。
DXアレイから中空のナノチューブを形成することも行われている。チューブの直径は4–20 nmで、2次元格子が反って丸まったものとみられる[23]。サイズと形状はカーボンナノチューブ (CNT) に近い。DNAナノチューブはCNTのように電気伝導性は持たない代わりに、構造を変更したり他の構造と連結することが容易である。DNAナノチューブの作製スキームはいくつもあり、曲率を持つDXタイルに格子を組ませて丸まったチューブを作る方法はその一つである[24]。輪を描いた一本鎖をタイルとすることでチューブの周長を固定する方法もあり、そこではチューブの剛性は創発的に生じる[25]。
DNAによって3次元格子を作ることはDNAナノテクノロジーの初期から目標とされてきたが、実現は非常に難しかった。2009年になってようやく、張力と圧縮力をバランスさせるテンセグリティの概念に基づくモチーフによって実現されたことが報告された[21][26]。
一つ一つが多面体と同じ連結性を持つ3次元複合体をDNAから合成できることも実証されている。そこではDNA二重鎖が多面体の辺となり、DNAジャンクションが頂点となる。多面体の種類は立方体や八面体など数多い[27]。初期の例では、複数のライゲーションと固相合成ステップを繰り返して連環DNA多面体を作り出しており、大きな労力を要した[28]。研究が進むと合成がはるかに容易な多面体構造が作り出された。例としては、たった一本のDNA鎖が正しく折りたたまれて形成される八面体や[29]、4本のDNA鎖から1ステップで生成する四面体(記事冒頭の図に示されている)がある[1]。
不規則な任意形状のナノ構造を作る場合、通常はDNAオリガミ法が用いられる。「スキャフォールド(足場)」と呼ばれる天然の長い一本鎖ウィルスDNAを、コンピュータで設計された多数の短い「ステープル(かすがい)」鎖によって折りたたんで望みの形状を作り出す方法である。その利点は、塩基配列が足場鎖によって事前に決定されており、ほかのほとんどのDNAナノテクノロジー技術と違って核酸鎖の純度や化学量論性を高く保つ必要がないため、設計が容易だというところにある。DNAオリガミ法はまず2次元形状で実証された。最初に作られた形状にはスマイリーフェイスや西半球の略地図、モナリザの絵などがあった[27][30][31]。平行にした多くのDNA鎖をハニカム状に積み上げて堅固な3次元構造を作成したり[32]、2次元面構造を折りたたんで段ボール箱のような中空の3次元的形状とすることもできる。箱状構造は刺激を受けると蓋が開いて分子貨物を露出ないし放出するようにプログラムできるため、プログラマブルな分子ケージとしての応用が見込まれる[33][34]。
核酸構造にはタンパク質、金属ナノ粒子、量子ドット、フラーレンなど核酸以外の分子(ヘテロエレメントとも呼ばれる)を組み込むこともでき、それにより核酸だけではできなかったような幅広い機能を持つ材料や素子を構築することが可能になる。核酸構造の自己アセンブリがテンプレートとなり、ホストしたナノ粒子をアセンブリさせるとともに位置や時には方位の制御を行う[27][35]。それらのスキームの多くでは共有付加スキームが取られ、化学的ハンドルとしてアミド基やチオール基を持つオリゴヌクレオチドがヘテロエレメントと結合する。共有結合スキームにより、DXアレイ上で金ナノ粒子を配列させたり[36]ストレプトアビジンタンパク質分子に特定のパターンを取らせることが行われている[37]。ストレプトアビジンの配列はDXアレイ上のダーバン型ポリアミドを利用した非共有型のホスティングによっても行われている[38]。DNAアレイへのホスティングによってカーボンナノチューブのアセンブリを行い、分子エレクトロニクス素子(CNT電界効果型トランジスタ)として機能するようなパターンを取らせた研究もある[39]。そのほか、最初の核酸構造の形を保ったまま金属で核酸を置換する核酸金属化法や[40]、核酸ナノ構造をフォトリソグラフィのマスクとして利用してパターンを固体表面に転写するスキームがある[41]。
動的DNAナノテクノロジーで中心となるのは、計算や機械的運動など、所定の動的機能を発現させるような全体構造を持つ核酸系の構築である。アニーリングから動的な再配列を行うことで構造を得たり、最初から動的に構造形成を行うこともできるため、構造的DNAナノテクノロジーと重なる部分がある[27][42]。
ナノロボットの一つの形として、何らかの刺激によって立体配座を変化させるDNA複合体が作製されている。作製には構造的DNAナノテクノロジーにおいて静的構造を作るのと同様な方法がとられるが、アセンブリ後に動的な再配列が可能なように設計される[10][42]。この種の素子で最初のものはB-DNA(右巻き)とZ-DNA(左巻き)の間の遷移を利用しており、バッファー条件の変化に応じてねじれ運動を行った[43]。バッファー条件をトリガーとする系ではすべての素子が同時に状態変化を起こしたが、後には制御ストランドが状態変化を起こさせるような系を用いて溶液中の各素子を独立して操作できるようになった。その例としては、開状態と閉状態を持つ「分子ピンセット」の仕組みや[44]、パラネミック・クロスオーバー配位 (PX) とダブルジャンクション配位 (JX2) とを切り替えることで回転運動を生じる素子[45]、制御ストランドと出会うと動的に伸縮を行う2次元アレイがある[46]。動的に開閉を行えるケージ構造も作られており、機能性分子貨物を自在に露出ないし放出させる分子ケージとして期待されている[33][47][48]。
DNAウォーカーは一次元的なトラックに沿って指向性運動を行う核酸ナノマシンの一種であり、多くのスキームが確立されている[42]。たとえば一連の順番で制御ストランドを添加することでトラックに沿って一歩ずつウォーカーを動かす戦略がある[49][50]。別のアプローチとして、制限酵素またはデオキシリボザイムを備えたウォーカーがトラックの核酸鎖を切断しながら一方向に進む自律的なシステムもある[51][52]。後には一次元的なトラックの代わりに2次元面を歩きながら分子貨物を選択的に拾い上げて運ぶウォーカーも実現された[53]。また、トラックに沿って進みながらDNAテンプレート合成を行うことで自律的に多段階化学合成を進める一次元ウォーカーも実現している[54]。化学合成DNAウォーカーの機能は天然のタンパク質ダイニンとキネシンに通じる[55]。
鎖置換反応のカスケードを利用して計算や構造形成を行うことができる。何らかのイニシエーター鎖への応答として新しい配列が露出するのが一つの鎖置換反応である。多数の反応をつなげることで、ある反応で露出した配列が次の反応のイニシエーターとなるような生化学カスケードを構築できる。さらにそれを組み合わせて、多数の要素からなる化学反応ネットワークを構築すれば複雑な計算や情報処理を行わせられる。カスケード反応は新しい塩基対の形成によるエネルギー利得と分解反応によるエントロピー増大によりエネルギー的に有利となる。鎖置換カスケードを用いれば等温操作によってアセンブリや計算プロセスを行うことが可能で、従来の核酸アセンブリにおいて加熱後にゆっくり冷却することで目的の構造を形成させる熱的アニーリングステップが必要だったとは対照的である。また鎖置換カスケードのイニシエーター種に触媒機能を持たせて、1当量未満のイニシエーターによって反応を一方向に進めることもできる[10][56]。
鎖置換複合体からは複雑な計算を行う分子論理ゲートを作成することができる[57]。電流によって入出力を行う従来の電子計算機とは異なり、分子コンピュータは特定の化学種の濃度を信号とする。核酸鎖置換回路では、置換複合体上のほかの鎖と結合して消費されたり、また切断されて出現したりする核酸鎖の存在が信号となる。このアプローチによってAND、OR、NOTゲートのような論理ゲートが作製されている[58]。より近年では、130本のDNA鎖からなるゲート系によって0〜15の整数の平方根を計算できる4ビット回路が構成されている[59]。
鎖置換カスケードを動的な構造アセンブリに用いた例もある。そこでは反応体としてヘアピン構造を用いており、入力鎖が結合したときに鎖が切り離されるのではなく、ヘアピンが開くことによって配列が新しく露出するようになっている。開いたヘアピンは成長中の複合体に追加される。このアプローチからは3~4アームのジャンクションやデンドリマーのような単純な構造が作製されている[56]。
DNAナノテクノロジーは、正確に制御されたナノスケールの構成部品を持つ複雑な構造を設計・構築する数少ない方法の1つである。構造生物学と生物物理学では基礎的な問題を解決するためにDNAナノテクノロジーが応用され始めている。最初に考えられたのは結晶学への応用で、単独では結晶化が困難な分子を3次元核酸格子内に周期配置することで構造同定を行うというものだったが、現在でも研究が進められている。ほかにも、タンパク質NMR分光で残留双極子カップリングを測定する際に液晶の代わりとしてDNAオリガミロッドを使用することがある。DNAオリガミロッドは膜タンパク質を液中に分散させるのに必要な界面活性剤に耐性がある点で液晶より優れている。DNAウォーカーはナノ粒子を運んで化学合成を進めるナノスケールの組み立てラインとして応用されている。さらに、酵素の機能やタンパク質の折りたたみに関する生物物理学的な研究でもDNAオリガミ構造が役立てられている[11][60]。
DNAナノテクノロジーは将来の実用的な応用に向けて発展を続けている。核酸アレイには他の分子を配列させる能力があるため分子スケールエレクトロニクスへの応用が期待される。核酸構造のアセンブリをテンプレートとして分子ワイヤのような分子エレクトロニクス素子のアセンブリを行えば、ブレッドボードに相当する分子素子のアーキテクチャやチップ上の配置をナノメートルの精度で制御できるようになる[11][27]。DNAナノテクノロジーは計算処理を物質の特性と結び付けた点でプログラマブルマターの概念と比べられてきた[61]。
オーフス大学iNANOセンターおよびCDNAセンターで行われた研究で、複数回のスイッチングが可能な3次元ボックス構造がDNAオリガミによって構築された。その性質は原子間力顕微鏡 (AFM)、透過型電子顕微鏡 (TEM)、および蛍光共鳴エネルギー移動 (FRET) によって確かめられた。このボックスは蓋を閉じ直す独自の機構を備えており、決められたDNAもしくはRNAの組を鍵として何度も開閉を行うことができる。この研究の著者は「DNAデバイスには、単一分子の機能制御、ドラッグデリバリー制御、分子計算など幅広い応用が考えられる」と主張した[62]。
ナノ医療においても、生体適合性のあるDNAナノテクノロジーの計算方式を利用して標的化ドラッグデリバリー用の「スマートドラッグ」を作成できる可能性がある。研究中のシステムには、アポトーシス(細胞死)を誘導するタンパク質を中空のDNAボックスに入れて運び、癌細胞の近傍で放出するというものがある[60][63]。またこのような人工的な構造を生きた細菌の細胞中で発現させることにも関心が寄せられている。そのアセンブリには転写産物RNAが利用できると見られているが、細胞質中で複雑な構造を効率的に折りたたんだりアセンブリしたりできるかは分かっていない。これが成功すれば、核酸ナノ構造に定向進化を行わせることができるようになる[27]。オックスフォード大学の研究者は、短い合成DNA鎖4本が自己集積したケージ構造が細胞に侵入したまま少なくとも48時間生存したと報告した。蛍光標識されたDNA四面体ケージは、実験室で培養されたヒト腎細胞の中で細胞酵素による攻撃を受けながらも2日後まで損傷しなかった。この実験によりDNAケージによる生細胞中でのドラッグデリバリーの可能性が示された[64][65]。DNA四面体を用いてマウスモデルにRNA干渉 (RNAi) を起こせることもMITのチームによって報告されている。ポリマーや脂質によって干渉RNAをデリバリーする治療法はすでにある程度の成功を収めていたが、血流中での寿命が短く、安全性や送達の正確性にも課題があった。MITで作成されたDNAナノ構造は、6本のDNA鎖が四面体を形成し、それぞれの辺に1本のRNA鎖を付与する構造だった。四面体にはそのほか標的化のために葉酸分子が3つ付与されており、いくつかの腫瘍で豊富に見られる葉酸受容体にナノ粒子を誘導する仕組みになっていた。その結果、RNAiの標的であったルシフェラーゼの遺伝子発現が半分以下に低下することが示された。この研究により、DNAナノテクノロジーが新しいRNA干渉技術を通して有効な治療ツールを生み出しうる見通しが高まった[66][67]。DNA四面体構造を用いて多剤耐性現象を克服しようとする試みもある。P糖タンパク質による薬物排出ポンプ機能を有するMCF-7乳がん細胞に対し、四面体と複合させたドキソルビシン (DOX) を負荷した結果、DOXが排出されずにがん細胞のアポトーシスが達成された。生態適合性をテストするため、DOXを含まない四面体を細胞に負荷したところ、四面体自身は細胞毒性を示さなかった[68]。
DNAナノテクノロジーの医療応用としては、天然の膜タンパク質の構造と機能を模倣するように設計されたDNAナノ構造も注目されている。2012年、ランゲッカーら[69]は、茎状のDNAオリガミ構造が疎水性コレステロール修飾を利用して脂質膜に自己挿入し、膜を通してイオン電流を流す細孔として機能したと発表した。これは最初に実現された合成DNAイオンチャネルであり、後には単一のDNA二重鎖や[70]、小さいタイルベース構造[71][72][73][74][75]、あるいはDNAオリガミによる大きな膜貫通ポリンなど、多くの方式で細孔が作られた[76]。天然のタンパク質イオンチャネルと同じように、多様な設計が可能な合成DNAチャネルはコンダクタンスに数桁の幅を持たせることができる。単一のDNA二重鎖によって脂質二重層にイオンチャネルを形成する研究では、DNA鎖自体には内腔が存在せず、イオン電流はDNAと脂質の界面を流れる。このチャネルの周辺で脂質頭基はDNAの方を向くため、細孔形状は単純な円筒ではなくトロイダル型となっている[70]。ケンブリッジ大とイリノイ大アーバナ・シャンペーン校の研究者は、そのようなDNA誘導トロイダル孔が脂質二重層の層間で脂質の高速な反転を引き起こすことを示した。この効果を利用して、スクランブラーゼと呼ばれる天然タンパク質よりも桁違いに大きい速度で生体膜の脂質を反転させる合成DNA製酵素が設計されている[77]。この研究は合成DNAナノ構造によるパーソナルドラッグや個別化治療法の可能性を指し示している。
DNAナノ構造は個々の核酸鎖が集合して目的の構造を作るように合理的に設計する必要がある。通常、まずは標的とする三次構造または機能を特定しなければならない。次に、標的複合体全体の二次構造が決められる。すなわち核酸鎖の配置と、それぞれの鎖のどの部分を互いに結合するかを特定する。最後のステップは一次構造の設計、つまり核酸鎖の具体的な塩基配列の決定である[23][78]。
核酸ナノ構造を設計する最初のステップは、与えられた構造をどうやって核酸鎖の配列として表すかを決めることである。このステップでは求める形状の中で鎖をつなぐ塩基対の位置(二次構造)が決められる[23]。これまでに複数のアプローチが確立されている。
いずれかのアプローチによって標的複合体の二次構造を設計した後は、それを実現する具体的なヌクレオチド配列を考えなければならない。構成鎖が結合して求める立体配座となるように鎖に対して核酸塩基配列を割り当るプロセスが核酸設計である。配列の設計では、標的構造がエネルギー的に最低で熱力学的に最も有利になり、アセンブルに誤りが生じた場合はエネルギーが高く不利になることを狙うのがほとんどである。実際に設計を行うには、sequence symmetry minimization 法などの単純で高速な発見的手法のほか、計算量が多く時間がかかるが正確な方法として、最近接塩基対の熱力学的モデル(Nearest-neighbor法)を正面から扱うやり方がある。幾何学的モデルを用いてナノ構造の三次構造を検査し、複合体に過度のひずみが生じていないか確かめることもある[78][80]。
核酸設計の戦略はタンパク質の設計と似ている。いずれの場合も、求める標的構造が有利となり、ほかの構造が不利となるようにモノマー配列の設計が行われる。核酸設計では構造のエネルギー的な有利不利を予測するには単純な塩基対合則だけを考慮すれば十分であり、構造全体の3次元的な折りたたみについての細かい情報は不要であるため、計算の容易さという点でタンパク質の設計に勝っている。このため単純な発見的手法を用いてロバストなデザインを実験的に得ることが可能になる。ただし、核酸構造はタンパク質と比べて機能の多様性では劣る。タンパク質は折りたたみによって複雑な構造を作る能力が高く、また核酸が4種のヌクレオチドのみからなり化学的な多様性が低いのに対してタンパク質では20種のタンパク質構成アミノ酸を用いることができる[80]。
ターゲット構造を作るためのDNA鎖の配列設計は分子モデリングおよび熱力学モデリングソフトウェアによってコンピュータ上で行われる[78][80]。次に、標準的なオリゴヌクレオチド合成法によって核酸そのものを合成する。このステップは自動化された合成装置によるのが普通である。特定用途向けに配列された核酸鎖は市販もされている[81]。必要に応じて変性ゲル電気泳動によって核酸鎖の精製を行い[82]、さらに紫外線吸収分光法を用いた核酸定量法によって濃度を正確に決定する[83]。
標的構造が完成したかどうかは非変性ゲル電気泳動で検証できる。この方法からは核酸複合体のサイズと形状に関する情報が得られる。ゲルシフトアッセイを行えば構造に必要な鎖がすべて組み込まれたかを評価できる[84]。蛍光標識とフェルスター共鳴エネルギー移動 (FRET) による構造評価も行われることがある[85]。
核酸構造を直接観察するには原子間力顕微鏡があり、これは拡張2次元格子には有効だが、離散3次元構造では核酸構造が脆く探針から影響を受けるため適していない。その場合、代わりに透過型電子顕微鏡と低温電子顕微鏡法が用いられることが多い。拡張3次元格子ではX線構造解析が行われる[86][87]。
エッシャー作『深み』 (外部リンク) |
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ネイドリアン・シーマンはDNA3次元格子を利用して結晶化しにくい分子の配向を行うアイディアをエッシャーの木版画『深み』から得たという。DNAナノテクノロジーの分野はここから始まった。 |
DNAナノテクノロジーの概念的基盤は1980年代初頭にネイドリアン・シーマンによって築かれた[88]。シーマンの元々の動機は3次元DNA格子を利用して大分子の配向を行うことだった。これにより、大分子から高純度の結晶を作る困難なプロセスが省かれて結晶構造解析が容易になるはずだった。シーマンは1980年の末に、M・C・エッシャーによる木版画『深み』がDNAの6アーム・ジャンクション・アレイと似ていると気づいたことからこのアイディアを得たという[6][89]。そのころすでにDNA複製フォークや可動ホリデイジャンクションなど天然のDNA分岐構造はいくつか知られていたが、シーマンは先見の明を発揮させて、構成分子の塩基配列を適切に設計して核酸ジャンクションの対称性を失わせればそれを固定化でき、さらに固定化したジャンクションを結合させて堅固な結晶格子を作ることが原理的に可能だと考えた。このスキームは1982年の理論的な論文で最初に提案され、翌年には固定DNAジャンクションが実験的に証明された[4][27]。
1991年、DNAを用いて立方体構造を作製したことがシーマンの研究室から報告された。これは初めて合成された3次元核酸ナノ構造であり、シーマンは1995年にナノテクノロジーに関する賞であるファインマン賞を受賞した。DNAによる切頂八面体も続いて報告された。しかし間もなく、柔軟なジャンクションを頂点に持つ多面体構造は拡張3次元格子を作れるほどの剛性を持たないことが明らかになった。シーマンは剛性の高いダブルクロスオーバー構造モチーフ (DX) を開発し、1998年にはエリック・ウィンフリーと共同でDXタイルからなる2次元格子の作製を報告した[6][88][90]。この種のタイルベース構造にはDNAコンピューティングの手段となりえる利点があり、ウィンフリーとポール・ロザムンドによる2004年の論文でそれが実証された。この研究はアルゴリズミック・セルフアセンブリによるシェルピンスキー・ギャスケット構造の形成に関するもので、2006年のファインマン賞を獲得した。ウィンフリーの慧眼は、DXタイルはワンのタイルとしても機能し、すなわちそのアセンブリによって計算を行えるという発想にあった[88]。3次元格子の合成は、シーマンが最初に志してから30年近く後の2009年になってようやく、彼自身によって報告された[60]。
2000年代を通じてDNA人工構造の新しい機能が発見され続けた。最初のDNAナノマシン(入力に応じて構造を変えるモチーフ)は1999年にシーマンによって実現した。翌年、バーナード・ユルケはより進んだシステムを作り出した。これは「トーホールド」を介して鎖置換を行う最初の核酸素子だった。次の進展は鎖置換を機械的な運動に変換することであり、2004年から2005年にかけて、シーマンやナイルズ・ピアース、アンドルー・ターバーフィールド、チェンデ・マオらがそれぞれ率いるグループによっていくつものDNAウォーカー系が作り出された[42]。ナノ粒子やタンパク質など他の分子をアセンブリさせるテンプレートとしてDNAアレイを用いるアイディアは、1987年にブリュッヘ・ロビンソンとシーマンによって最初に提案され[91]、2002年にシーマンとキール他が実証すると[92]、多くのグループが後に続いた。
2006年、ロザムンドはDNAオリガミ法によって任意の形状を持つ堅固なDNA折りたたみ構造が容易に作製できることを示した。ロザムンドはそのコンセプトを、多数の短い核酸鎖を用いるシーマンのDX格子と、主に一本の長い鎖からなるウィリアム・シーのDNA八面体の中間だと考えていた。ロザムンドのDNAオリガミは一本の長い鎖が多数の短い鎖の助けを借りて折りたたまれる仕組みだった。これにより、それまでの限界を超えた大きさの構造を形成することができるようになった上に、設計や合成にともなう技術的な困難が低減された[90]。『ネイチャー』誌2006年3月15日号ではDNAオリガミが表紙を飾った[30]。2次元のDNAオリガミ構造を実証したロザムンドの研究に続いて、2009年にはダグラスらによって密な3次元構造が[32]、Jørgen KjemsとYanの研究室では2次元面からなる中空の3次元構造が作り出された[60]。
DNAナノテクノロジーは当初のうち懐疑的な態度で迎えられることもあった。核酸を構造材料や計算処理のような非生物学的な用途に用いる発想が異例だったことや、分野の可能性を広げる一方で実際の応用には程遠い原理実証実験が多かったことがその理由である。シーマンが1991年に書いたDNA立方体の合成に関する論文は『サイエンス』誌からリジェクトされた。査読者の一人はその独創性を賞賛したが、別の査読者は生物学的な重要性に欠けるという批判を寄せた(その論文[93]は結局『ネイチャー』誌に掲載された)。2010年代に入ると、基礎科学への応用が現実的になるほど分野が発展したことが認められ、医療などの分野で実用的な応用が考えられ始めた[60][94]。2001年にはこの分野で活動する研究室はわずかしかなかったが、2010年には少なくとも60グループにまで拡大した。この10年間は人材が増えたこともあって分野の進歩も目覚ましいものがあった[21]。
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