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メキシコのサッカークラブ ウィキペディアから
アトラス・フトボル・クルブ(スペイン語: Atlas Fútbol Club)は、メキシコ中部、ハリスコ州の州都グアダラハラに本拠地を置くサッカークラブである。エスタディオ・ハリスコをホームスタジアムとしている。2016-17シーズンはリーガMX(1部)に所属している。
1916年、サッカー経験のある英語学校の学生数人によって設立された。伝統的にテクニックを重視しており、アトラスが用いた三角形のパス交換、技巧的なドリブルなどはメキシコサッカー界全体に影響を与えた。2000年にはコパ・リベルタドーレスに初出場し、優勝経験のあるSEパルメイラス(ブラジル)に準々決勝で敗れた。2008年には再びコパ・リベルタドーレスに出場し、やはり優勝経験のあるボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)に準々決勝で敗れた。2009年6月にはスーパーリーガに出場し、メキシコとアメリカの計8クラブがタイトルを争ったが、アトラスはグループリーグ3位で敗退した。下部組織には定評があり、キーパーのオスワルド・サンチェス(FIFAワールドカップ3大会出場)、フォワードのハレド・ボルヘッティ(メキシコ代表歴代最多得点者)、ディフェンダーのラファエル・マルケス(UEFAチャンピオンズリーグ優勝経験あり)、守備的ミッドフィールダーのパベル・パルド(メキシコ代表歴代2位の出場試合数)、攻撃的ミッドフィールダーのアンドレス・グアルダード(メキシコ代表として100試合以上出場)などをトップチームに送り込んでいる。
1960年1月31日に開場したエスタディオ・ハリスコをホームスタジアムとしている。エスタディオ・ハリスコはメキシコで3番目に収容人数が多く、1970 FIFAワールドカップではグループリーグ6試合、準々決勝1試合、準決勝1試合の計8試合が行なわれた。1986 FIFAワールドカップではグループリーグ6試合、決勝トーナメント1回戦1試合、準々決勝1試合、準決勝1試合の計9試合が行なわれた。かつてはチーバス・グアダラハラもエスタディオ・ハリスコを使用していたが、2010年、チーバスは自ら建てたエスタディオ・オムニライフにホームスタジアムを移転した。
同じグアダラハラを本拠地とするチーバス・グアダラハラとライバル関係にあり、両クラブの対戦はクラシコ・タパティオと呼ばれる。チーバスは1906年に設立され、労働者階級に人気のあるクラブである。アトラスは1916年に設立され、中産階級に人気のあるクラブである。アトラスが設立された1916年に初対戦が行なわれ、メキシコ最古のローカル・ダービーとされている。初期の対戦の際、チーバスのファンがアトラスの選手にマルガリータス(マーガレット)というニックネームを付け、一方のアトラスのファンはチーバスに対してチーバス・ロカス(気の狂ったヤギ)というニックネームを付けた。これらには侮蔑的な意味が込められていたが、現在ではそれぞれのサポーターが自クラブを語る際に一般的に使用されている。
アトラスはメキシコでも有数の下部組織を持っており、1990年代以降だけでも以下の選手らがアトラスでトップチームデビューし、後にメキシコ代表に選出されている。2007年には、プリメーラ・ディビシオンのほとんどのクラブにアトラス出身選手が1人以上在籍していた。
1993年にはキーパーのオスワルド・サンチェスがデビューし、メキシコ代表としてはFIFAワールドカップ3大会のメンバーに選出されて99試合に出場した。サンチェスは1996年までアトラスに在籍したが、クラブ・アメリカを挟み、1999年にはアトラスのライバルであるチーバス・グアダラハラに移籍した。1994年にはハレド・ボルヘッティがトップチームデビューし、後にメキシコ代表の歴代最多得点者となったが、ボルヘッティはキャリアの大部分をサントス・ラグナでプレーした。1996年にはディフェンダーのラファエル・マルケスがデビューし、マルケスはフランスのASモナコ、スペインのFCバルセロナなどヨーロッパの強豪でプレーした。メキシコ代表としては116試合に出場し、キャプテンも務めた。マルケスと同じ1996年にはミゲル・セペーダがデビューし、メキシコ代表として50試合に出場した。
1997年にはダニエル・オソルノがデビューし、アトラスでリーグ戦278試合に出場。メキシコ代表としては57試合に出場して12得点を挙げた。オソルノと同じ1997年にはフアン・パブロ・ロドリゲス(エル・チャート)がデビューし、メキシコ代表として2001年のコパ・アメリカ2001などに出場した。フアン・パブロ・ロドリゲスはエストゥディアンテス・テコスを挟み、2006年には短期間ながらチーバスでもプレーした。1998年には守備的ミッドフィールダーのパベル・パルドがデビューし、メキシコ代表としては歴代2位の148試合に出場した。パルドと同じ1998年にはマリオ・メンデスがデビューし、2003年にメキシコ代表としてCONCACAFゴールドカップで優勝した。1999年にはフアン・パブロ・ガルシア(ロキート)がデビューし、2005年にCONCACAFゴールドカップ優勝メンバーとなった。
2002年にはキーパーのホセ・デ・ヘスス・コローナがデビューし、エストゥディアンテス・テコス移籍後の2005年にメキシコ代表に初選出された。2003年にはフアン・カルロス・メディーナがデビューし、2005年にメキシコ代表デビューした。2004年にはウーゴ・アジャラがデビューし、2009年にメキシコ代表デビューした。2005年にはアンドレス・グアルダードがデビューし、グアルダードはデポルティーボ・ラ・コルーニャやバレンシアCFなどスペインのクラブでプレーしている。トップチームデビュー年にはメキシコ代表にもデビューし、100試合以上に出場している。2006年にはホルヘ・トーレス・ニーロがデビューし、2011年にはCONCACAFゴールドカップ優勝メンバーとなった。2007年にはホルヘ・エルナンデスがデビューし、同年にメキシコ代表デビューした。ホルヘ・エルナンデスはトップチームデビュー前の2005年にU-17メキシコ代表としてFIFA U-17ワールドカップを制している。2008年にはエドガル・イバン・パチェコがデビューし、メキシコ代表としてコパ・アメリカ2011に出場した。
期間 | 製造元 | キットスポンサー |
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1989–90 | Pajarito Sport | Bing |
1990–91 | Vicmar | ペニャフィエル(飲料) |
1991–92 | Pajarito Sport | ペニャフィエル(飲料) |
1992–93 | Vicmar | ペニャフィエル(飲料) |
1993–94 | アンブロ | テカテ |
1994–95 | ABA Sport | テカテ |
1995–96 | スポンサーなし | |
1996–99 | アスレティカ | コロナビール/Estrella |
1999-00 | コロナビール/コカ・コーラ/Estrella | |
2000–01 | コカ・コーラ/オムニライフ(健康食品)/コロナビール | |
2001–02 | ナイキ | コカ・コーラ/オムニライフ(健康食品)/コロナビール |
2002–03 | コカ・コーラ/コロナビール | |
2003–04 | コカ・コーラ/コロナビール/Telcel | |
2004–05 | Kappa | コカ・コーラ/Bedoyecta/ |
2005–06 | コカ・コーラ/Sky/コロナビール | |
2006–07 | Bedoyecta/コカ・コーラ/コロナビール | |
2007–08 | アスレティカ | Bedoyecta/コカ・コーラ/コロナビール/Sky/Megacable |
2008–09 | DiversityCapital/コカ・コーラ/コロナビール/Sky/Megacable | |
2009–10 | ハリスコ州/コカ・コーラ/コロナビール | |
2010–11 | コカ・コーラ/Akron/コロナビール | |
2011–12 | コカ・コーラ/2011年パン・アメリカン競技大会/Akron/コロナビール | |
アペルトゥーラ2012 | コカ・コーラ/Akron/コロナビール | |
2013– | ナイキ | コカ・コーラ/Casas Javer/コロナビール/Volaris/Sky |
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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