1954年の南海ホークス

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1954年の南海ホークス

1954年の南海ホークスでは、1954年の南海ホークスにおける動向をまとめる。

概要 成績, 本拠地 ...
1954年の南海ホークス
成績
パシフィック・リーグ2位
91勝49敗 勝率.650[1]
本拠地
都市 大阪府大阪市
球場 大阪球場
Thumb
球団組織
経営母体 南海電気鉄道
監督 鶴岡一人(山本一人)
« 1953
1955 »

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この年の南海ホークスは、鶴岡一人(登録名・山本一人)監督の9年目のシーズンである。

概要

日本シリーズは巨人に3年連続で敗退したものの、パ・リーグでは敵なしのチームはこの年も好調で、4月は3位ながらも首位の西鉄に2.5ゲーム差で食らいつき、5月以降の首位奪取が期待された。7月に西鉄に5.5ゲームと放されるが、8月後半からの18連勝で3位以下を突き放して首位に浮上。しかし、終盤は打線が息切れ。最後は西鉄の初優勝を許し、両リーグ最多の91勝(この年セ・リーグで初優勝の中日が86勝)をあげながらも2位に終わった。打撃陣では前年首位打者でMVPの岡本伊三美や、1番の蔭山和夫・2番の木塚忠助・4番の飯田徳治など主力選手もそれなりの成績を残した。この年野村克也がテスト生で入団するが、初打席は西鉄のエース・河村英文に3球三振に打ち取られ、プロ入り初安打を打つことなく1年目を終えた。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 蔭山和夫
2 木塚忠助
3 岡本伊三美
4 飯田徳治
5 堀井数男
6 森下正夫
7 島原輝夫
8 松井淳
9 大神武俊
さらに見る 順位, 4月終了時 ...
1954年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 西鉄-- 毎日-- 西鉄-- 西鉄-- 西鉄-- 西鉄-- 西鉄--
2位 毎日1.5 西鉄1.5 毎日0.5 毎日0.5 南海5.0 南海0.5 南海0.5
3位 南海2.5 南海4.0 南海1.0 南海5.5 毎日5.5 毎日10.0 毎日10.5
4位 阪急4.5 阪急6.0 近鉄8.0 近鉄10.0 近鉄11.5 近鉄16.5 近鉄16.0
5位 近鉄 近鉄8.5 阪急8.5 阪急10.5 阪急14.5 阪急 阪急23.5
6位 大映5.0 東映11.0 大映16.0 東映20.5 高橋24.5 高橋30.0 高橋37.0
7位 東映6.5 大映11.5 東映16.5 大映20.5 東映28.0 東映33.0 東映38.5
8位 高橋11.5 高橋13.5 高橋17.5 高橋20.5 大映31.0 大映37.5 大映46.0
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1954年パシフィック・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位西鉄ライオンズ90473 .657優勝
2位南海ホークス91490 .6500.5
3位毎日オリオンズ79574 .58110.5
4位近鉄パールス74633 .54016.0
5位阪急ブレーブス66704 .48523.5
6位高橋ユニオンズ53843 .38737.0
7位東映フライヤーズ52862 .37738.5
8位大映スターズ43925 .31946.0

オールスターゲーム1954

  • 選出選手及びスタッフ
さらに見る ポジション, 名前 ...
ポジション名前選出回数
監督山本一人
投手大神武俊
柚木進4
捕手松井淳2
一塁手飯田徳治4
二塁手森下正夫
遊撃手木塚忠助4
内野手蔭山和夫4
外野手堀井数男3
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  • 太字はファン投票による選出。

できごと

8月22日から9月21日まで、日本プロ野球最多の18連勝を記録した。途中に引き分けのない連勝としても最多記録。

さらに見る 試合日, ホーム ...
試合日ホームスコアビジター球場勝利投手敗戦投手
8月22日東映0 - 2南海駒澤中原米川
8月22日東映2 - 3南海駒澤柚木宮沢
8月24日大映2 - 3南海後楽園戸川
8月25日大映4 - 5南海後楽園中原高松
8月26日大映3 - 5南海後楽園宅和小川
8月28日高橋2 - 3南海川崎柚木
8月31日南海6 - 2東映大阪戸川寺川
9月2日南海4 - 3東映大阪戸川米川
9月3日南海4 - 1西鉄大阪宅和西村
9月4日南海2 - 1西鉄大阪柚木川崎
9月5日南海3 - 0西鉄大阪宅和大津
9月7日阪急1 - 2南海西宮野母梶本
9月9日阪急0 - 1南海西宮柚木柴田
9月11日東映6 - 8南海駒澤大神米川
9月12日東映0 - 4南海駒澤宅和今西
9月15日南海6 - 3近鉄大阪宅和関根
9月19日南海5 - 4毎日大阪戸川植村
9月21日南海4 - 3西鉄大阪宅和川崎
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  • 6月のある試合で飯田徳治内野手は手首に死球を受けてバットが振れなくなり、10日間5試合に守備固めや代走だけで出場した。現在の公認野球規則では「アテ馬や代走だけで出たもの、また守備で出てきてもその回がチェンジになるまで守っていない場合は連続試合に含まれない」(規則10.24(e))となっているため、1948年9月12日以来続いている飯田の連続試合出場が途切れるところだが、当時はこの規則がなかったため影響はなかった[2]

選手・スタッフ

表彰選手

さらに見る リーグ・リーダー, 選手名 ...
リーグ・リーダー
選手名タイトル成績回数
宅和本司 新人王
最優秀防御率1.58初受賞
最多勝利26勝初受賞
最多奪三振275個初受賞
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さらに見る ベストナイン, 選手名 ...
ベストナイン
選手名ポジション回数
森下正夫二塁手初受賞
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脚注

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