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黒田 直養(くろだ なおたか)は、上総久留里藩の第9代(最後)の藩主。久留里藩黒田家10代。
嘉永2年(1849年)4月8日、第5代藩主・直方の七男・直古の妾腹の長男として江戸下谷邸で生まれる。文久2年(1862年)閏8月25日、第8代藩主・直和の養子となる。
慶応元年(1865年)5月1日、将軍・徳川家茂に御目見をする。同年12月25日、従五位下・筑後守に叙位任官する。慶応2年(1866年)4月2日、直和が病気を理由に隠居したため、家督を継いだ。慶応4年(1868年)2月、第15代将軍・徳川慶喜が上野寛永寺に謹慎したとき、榊原政敬と共にその警護を務めた。閏4月には新政府に恭順した。明治2年(1869年)6月20日、版籍奉還により久留里藩知事に任じられ、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免職となる。
明治10年(1877年)6月2日、隠居し、子がなかったため、義妹の鏻子(れいこ、養父直和の次女)に家督を譲る。後に鏻子は宗義和の六男・和志を夫に迎えて、黒田家を継承させている。明治11年(1878年)6月10日に別家した。隠居および別家は債務問題のためであった。晩年は久留里で余生を送った。大正8年(1919年)11月29日に死去、享年71。
父母
正室
養女
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