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長崎県雲仙市国見町にある山城跡 ウィキペディアから
鶴亀城(つるかめじょう)は、長崎県雲仙市国見町にあった日本の城(山城)。東西350メートル×南北450メートルの大きな山城跡である。別名神代城・蓑鶴城。
鶴亀城 (長崎県) | |
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別名 | 神代城 |
城郭構造 | 山城 |
天守構造 | あり |
築城主 | 神代貴益 |
築城年 | 南北朝時代? |
主な城主 | 神代氏 |
廃城年 | 1615年(慶長20年) |
遺構 | 曲輪 |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯32度52分12.7秒 東経130度15分57.8秒 |
地図 |
現在、本丸跡は神代神社・稲荷神社となっており、二の丸、三の丸、大手門跡は田畑が広がっている。鶴亀城の支城として西に尻無城、長浜城などがあり、東に切通砦、大坪城、浅井城があった。大手門は北側にある海辺に存在し、高さ25メートルの天守があったとされる。
南北朝時代、神代貴益により築城されたとされる。以後、戦国時代末期まで神代氏の居城であった。1584年(天正12年)の沖田畷の戦いのときには龍造寺軍の本陣でもあった。その折、有馬晴信は攻撃するも攻略不可能と判断し、それ以前以後も戦闘による陥落経験のないとされる難攻不落の城であった(諸説あり)。
豊臣秀吉の天下統一後の九州国分では、鶴亀城を含む神代地区は佐賀鍋島氏の支藩に割り当てられた。江戸時代初期、鶴亀城の整備が行われたが、一国一城令により取り壊され、廃城となる。
慶安2年(1649年)に成立した肥前国の道帳「神代之古城」条には次のことが記されている。
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