鳥居 清広 (とりい きよひろ、生没年不詳 )とは、江戸時代 中期の浮世絵師 。
「中村富十郎 慶子 市川団十郎 三升」[1]
鳥居清満 の門人。はじめは二代目鳥居清倍 に学んだともいわれる。俗称七之助。堺町に住んでいた。鳥居清長 [注 1] 、鳥居清経 と並んで清満門下の三羽烏といわれた。宝暦 期(1751年 -1764年 )に紅絵 、紅摺絵 による役者絵 の他、石川豊信 風の美人画 を描いている。宝暦5年(1755年 )頃の制作の作品が最も多く「#和歌之三神 」には「大和畫師」(やまとえし=大和絵 の画家)と落款が認められる。また繊細で健康的なエロチシズムの溢れる「あぶな絵 」も残している。その若さ溢れる清新な作品は石川豊信をおびやかしたが、なぜか宝暦期のみで作画を辞めている。一説に安永 5年(1776年 )に若くして麻疹(はしか)で病死したとも伝えられているが、これを裏付けるものは何もない。『鳥居画系譜』によると、宝暦13年には島居派の絵師として存在したとされるので、同年に2代目鳥居清倍が没するまでは公式にその門人であったと見られる。
代表作として大々判紅摺絵「あわびとり」、大判紅摺絵に「見立尉と姥嶋台」[注 2] ほか市川亀蔵と佐野川市松の歌舞伎役者ふたりの台詞を配して舞台の一場面の再現を試みた「#江戸名物蕎麦尽 」(ともに東京国立博物館 所蔵)などが挙げられる。細判紅摺絵に「風流新板古撰うき世繪姿」と「佐野川市松・まさご御前」[8] (ともに東京国立博物館所蔵)、「和歌之三神 」(わかのさんじん)がある。
美人を3人ならべ、それぞれに伴を添えたのは紅摺絵三枚続きの「深川娘三幅対」(平木浮世絵美術館UKIYO-e TOKYO所蔵)である。紅摺絵「初代中村富十郎の娘道成寺」は、桜 の樹に結ばれた釣り鐘のもとで舞う華麗な舞台衣装の富十郎を描いており、そのしなやかで軽快な動きは名女形であったといわれる初代富十郎 の舞台姿の美麗さ、華やかさを彷彿とさせる作品である。清広の美人画は構図にどこか新鮮さがみられ、若々しく清々しいものであった。その特徴は次世代の美人画の第一人者である鈴木春信 の画風にも受け継がれていく。
代表執筆者の姓の50音順。
「二〇 海女 版画 大判 鳥居淸廣筆」『浮世絵競艶画集』牛山充(編著)、浮世絵新聞社、1930年(昭和5)、二〇。doi :10.11501/1194501 。
梅本鐘太郎 (塵山) 編『浮世絵備考』東陽堂、1898年、51頁。doi :10.11501/850008 。
『うきよ絵名品展 : 東京国立博物館所蔵/松方コレクション』京都国立博物館 (編)、京都新聞社 、1991年、19, 20。
「19 鳥居清広 化粧 細判 紅摺絵」、「20 鳥居清広 瀬川菊之丞のはで娘 細判 紅摺絵」
「15 鳥居清廣 二人男女 紅絵 宝暦時代」『浮世絵江戸版画 : 大判・豪華摺木版画』高見沢木版社、(昭和12)、0015.jp2頁。doi :10.11501/1024344 。全国書誌番号 :44004071 。
小林忠「第四章 名画評釈」『江戸の浮世絵』藝華書院、東京、2009年。
「16 鳥居清広『見立武蔵野』」(チェスタービーティ図書館蔵)34頁、409頁。
「3-32 鳥居清広 「破魔羽子」(ハーバード大学サックラー美術館蔵)275頁。
「3-34 鳥居清広『土手に遊ぶ子ら』」(フィラデルフィア美術館蔵)276頁。
藤懸静也 『浮世絵』(増補)雄山閣 、1946年、101-102頁。 国立国会図書館・近代デジタルライブラリーに口絵(第23図「三人娘」)と本文あり。
藤澤紫「図版 鳥居清広筆 梅樹下の男女(見立玄宗皇帝楊貴妃) (特輯 初期浮世絵)」『國華』第123巻第4号(通号1465)、國華編輯委員会(編・刊)、2017年11月、61-64, 23。
「鳥居清廣 一八「遊女詠歌 大判紅絵」」『松方浮世絵版画集 解説』 30巻、三浦秀之助(編)、太陽出版社、1925年(大正14)、15頁。doi :10.11501/1014355 。全国書誌番号 :42030680 。 国立国会図書館・近代デジタルライブラリー、図版番号0011.jp2。
注
鳥居清広画 横大判 紅摺絵3枚続「見立尉と姥島台」(みたて じょうとうば しまだい・列品番号A-10569-1038~1040)、東京国立博物館所蔵。
出典
鳥居清広. “C0047173 歌詠み紋形見る美人 ”. webarchives.tnm.jp . 東京国立博物館. 2020年6月9日 閲覧。 画像番号:C0047173、列品番号:A-10569_739。
発行年の若い順。
「小図第六十八 演劇お梶図 鳥居清長筆 一枚」『浮世絵派画集』第3冊、再版、審美書院(編・刊)、1914年(明治39-大正3)。コマ番号0026.jp2。doi : 10.11501/2591907 。
小早川好古「鳥居淸廣筆江戶中期美人の図」『風俗研究』第98号、口絵、京都:[風俗研究会(編・刊)、1928年7月。doi : 10.11501/1521980 。
『古今浮世絵撰集』第126号、古今浮世絵撰集刊行会(編・刊)、1935年(昭和10)。マイクロフィルム版doi : 10.11501/1120219 、デジタル版doi : 10.11501/1702608 。
「第一四図 鳥居清廣筆 海女 細判紅摺絵」コマ番号0027.jp2 (デジタル版に「第一四図鳥居淸廣筆 行燈 同 同」も)
「第一五図 鳥居清廣筆 凉み台 細判紅摺絵」コマ番号0028.jp2
「第一七図 鳥居清廣筆 初桜 大判紅摺絵」コマ番号0029.jp2
「鳥居清広」『東京国立博物館図版目録 浮世絵版画篇 上』第1巻第1号、211-232頁、東京国立博物館、1960年。doi : 10.11501/2500639 。
平木コレクションの木版およびオフセット 版複製
「浮世絵 無款、鳥居清広、他」『浮世絵と喫煙具』、53-55頁、専売事業協会、1967年。 doi : 10.11501/8798846 。図版番号216-226、コマ番号0073.jp2-0074.jp2。
「図版 原色版 鳥居清広 衝立に瀬川菊次郎を描く初世尾上菊五郎 と二世坂東彦三郎 」『古美術』第54号、14頁-、三彩社(編・刊)、1977年12月。doi : 10.11501/6063349 。コマ番号0008.jp2。
日本浮世絵協会 (編)『原色浮世絵大百科事典』第2巻、29頁、大修館書店 、1982年。
吉田漱 『浮世絵の見方事典』79頁、北辰堂、1987年。
稲垣進一(編)『図説浮世絵入門』31頁、河出書房新社 〈ふくろうの本〉、1990年。
「鳥居清広画 初代市村亀蔵の深草の少将と初代中村粂太郎の小野小町」(Actor Ichimura Kamezō I as Fukakusa no Shōshō and Actor Nakamura Kumetarō as Onono Komachiby Torii Kiyohiro)『浮世絵芸術 = Ukiyo-e art : 国際浮世絵学会会誌』第102号、表紙、国際浮世絵学会編集委員会(編)、国際浮世絵学会、1991年11月。ISSN 0041-5979 。doi : 10.11501/4431887 。コマ番号0001.jp2。
武藤純子「第五節 鳥居清広」『初期浮世絵と歌舞伎 : 役者絵に注目して』、286-294頁、笠間書院 、2005年。
「作画時期と作画状況」、「鳥居清広の画系と鳥居派における位置」
小林忠 監修 『浮世絵師列伝』[ 要ページ番号 ] 、平凡社 〈別冊太陽〉、2006年1月。ISBN 978-4-5829-4493-8 。
「鳥居清広」『ミネアポリス美術館浮世絵名品集成』、16頁、ミネアポリス美術館 (編)、藝華書院、2011年。
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国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに図版がある。