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高木 繁(たかぎ しげる、1881年7月20日 - 1946年11月27日)は、明治-昭和時代前期の日本の医学者。泌尿器科学における日本のパイオニア。九州帝国大学医学部泌尿器科を設立し、初代教授となる。1933年皆見省吾と雑誌「皮膚と泌尿」を創刊[1]。皮膚疾患治療剤グリテールを開発した[2]。また、江戸末期の浮世絵師、歌川国芳に注目し、その作品を収集。息子である高木健太郎が繁の遺志を継ぎ、健太郎の妻の節子が平成12年に「高木繁浮世絵コレクション」として約530点を名古屋市博物館に寄贈。『名古屋市博物館資料図版目録二』に全作品が掲載されている。
下山順一郎(日本最初の薬学博士、東京大学教授、私立薬学校:現東京薬科大学の創立者、初代校長)と母志満の長男として、東京都神田区新石町に生まれる。妻トクとの間に長男高木健太郎(生理学者、名古屋大学名誉教授、名古屋市立大学名誉教授、参議院議員)がいる。
1896年(明治29年4月-34年)独逸学協会学校へ入学、卒業。
1901年(34年7月-37年)第一高等学校3部入学、卒業。
1904年(37年9月-41年)京都帝国大学福岡医科大学(明治44年九州帝国大学医学部と改称される)入学、卒業(第2卒業生・銀時計組)。
1910(明治43年)皮膚科教室助手に任じられる。
1916年(大正5年)泌尿生殖器科学研究のため文部省よりアメリカ留学を命じられる。米国ベルチモアのヤング教授の下で泌尿生殖器科学の研究をする。
1918年(大正9年)医学博士になる。 1924年(大正13年)九州帝国大学医学部は皮膚科から泌尿器科が独立、初代教授となる。
1933年(昭和8年)皆見省吾と雑誌「皮膚と泌尿」を創刊、また皮膚疾患治療剤グリテールを開発。
1946年(昭和21年)11月27日死去。
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